[社会・文化ユニット第16回研究会]Francis B. Nyamnjoh「Amos Tutuola and the Elusiveness of Completeness」(第39回Kyoto University African Studies Seminar (KUASS)との共催、2015年07月04日開催)
日 時:2015年7月4日(土) 15:00~17:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室Ⅰ
プログラム
演 題:Amos Tutuola and the Elusiveness of Completeness
演 者:Francis B. Nyamnjoh 博士(Professor, University of Cape Town, South Africa)
要 旨
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[社会・文化ユニット第15回研究会]「『第4回アフリカの紛争と共生 国際フォーラム(ヤウンデ)』の開催にむけた打ち合わせ その2」(2014年10月4日開催)
日時:2014年10月4日(土)
場所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室1
プログラム
アフリカ潜在力としての「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」
報告
2014年12月にカメルーン・ヤウンデで行われる第4回国際フォーラムに向けて、社会・文化ユニットのメンバーとフォーラムでの発表者が集まり、議論を行った。フォーラムでキーノート・スピーチを行うカメルーン人人類学者で、南アフリカ・ケープタウン大学で教鞭をとるフランシス・B・ニャムンジョ(Francis B. Nyamhjoh)氏の主要概念である「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」について議論し、理解を深めた。
具体的には、平野(野元)美佐が論文”A child is one person’s only in the Womb”について発表し、大石高典氏が論文”Our traditions are modern, our modernities traditional”について発表し、参加者全員で議論を行った。
コンヴィヴィアリティとは本来、饗宴、陽気さ、宴会気分といった意味をもつが、イヴァン・イリイチが、それを社会科学の議論のなかでの分析に用いて以来(1973に出版されたTools for Conviviality邦訳『コンヴィヴィアリティのための道具』など)、教育学や社会学、人類学などで広く使われるようになった。イリイチによるコンヴィヴィアリティは、自立した個人が周りの環境(共同体、一次集団等)と創造的に交わるなかで、個人の自由や創造性が共同体などの集団と調和しながら共生している状態を指す。
ニャムンジョ氏のコンヴィヴィアリティも同じようなトーンをもち、異なったり競合したりするエージェントが、利用されたり騙される恐れなしに共存し、相互浸透、相互依存、相互主体性の精神を吹き込まれた全体の一部となっていること、とされる。とりわけ集団と個人との関係について論じられ、個人が集団の犠牲になることなく、集団に属しながらも個人の達成を追求し、それが集団に承認され、相互に支え合う状態のあり方をコンヴィヴィアリティと呼ぶ。しかしその状態はつねに交渉され、更新され続ける動的なプロセスとされる。
アフリカの紛争と共生について、社会・文化的側面からアプローチする本ユニットにとって、この概念は大変有効である。アフリカにおける紛争解決のために、あるいは共生を維持するために、共同体が活躍している地域は多い。しかしその共同体という集団は、個人に犠牲を強いたり、個人による改革に抵抗を示すことがある。共同体を否定するでもなく、個人に犠牲を強いるのでもないコンヴィヴィアルな状態はいかに生み出されるのか、あるいはそのような状態はいかに保ち続けられるのかを考えることは、本ユニットにとって欠かせない課題であるといえよう(平野美佐)。
[社会・文化ユニット第14回研究会]「『第4回アフリカの紛争と共生 国際フォーラム(ヤウンデ)』の開催にむけた打ち合わせ その1」(2014年7月19日開催)
日時:2014年7月19日(土)
場所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室1
プログラム
西アフリカの「紛争と共生」ポテンシャル
報告
2014年12月にカメルーン・ヤウンデで行われる第4回国際フォーラムに向けて、社会・文化ユニットのメンバーとフォーラムでの発表者が集まり、フォーラムでの有意義な発表と議論のために意見交換を行った。
まず、フォーラムのオーガナイザー松田素二氏が、第1回目のナイロビ・フォーラム( 2011)、第2回目のハラレ・フォーラム(2012)、第3回目のジュバ・フォーラム(2013)まで議論の流れを総括し、ヤウンデ・フォーラムで期待される議論について述べた。次に、発表予定者それぞれが発表内容について短く報告し、それについて質疑を行った。
これまで国際フォーラムの舞台となった東アフリカや南部アフリカ、南スーダンと、カメルーンを含む中・西部アフリカは、歴史的にも文化的にも社会のあり方も大きく異なっている。そのような中・西部アフリカにおいて特徴的な「アフリカの潜在力」はあるのか、あるとしたらどのようなものであるのかについて、意見交換を行った(平野美佐)。
[社会・文化ユニット第13回研究会/第19回公開ワークショップ]Idah Makukule「Ukuringa’-The role of language in negotiating male youth township identity on a south African street corner」(第25回Kyoto University African Studies Seminar (KUASS)との共催、2014年05月26日開催)
日 時:2014年5月26日(月) 15:00~17:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階第一小会議室
プログラム
演題:Ukuringa’-The role of language in negotiating male youth township identity on a south African street corner
演者:Idah Makukule(南アフリカ・パブリックアフェアーズ研究所、研究員)
要旨
[社会・文化ユニット第12回研究会]早川真悠「渾沌を生きる:ジンバブエのハイパー・インフレーション下における混乱と秩序」(2014年01月25日開催)
日 時:2014年1月25日(土)10:30~12:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室2
プログラム
早川真悠(大阪大学)
「渾沌を生きる:ジンバブエのハイパー・インフレーション下における混乱と秩序」
報告
ジンバブエでは、2001年から法定通貨(ジンバブエ・ドル:ZD)のインフレーション率が年間100%を超え始め、2008~2009年には未曾有のハイパー・インフレーションを経験した。そのピーク時には物価が一日で2倍になるほどだったという。本報告は、2007年2月~2009年3月まで、この激動の時期に首都ハラレで人類学的なフィールドワークをおこなった早川が、人びとが混乱の時期に、どのように対処して生き抜いたのかを詳細に報告し、分析したものである。
本報告で早川は、1980年の独立以来のジンバブエ近代史を概観したあと、「ジンバブエ危機」に対する先行研究を紹介し、ローカルな住民の視点にもとづく実証的な研究があまりなされてこなかったことを指摘した。早川は、経済学の知見にもとづいて「ハイパー・インフレーション」を月率50%以上と定義する。2007年3月~2009年1月の1年11ヵ月間がこの時期にあたる。この時期には、つぎつぎにZDのデノミネーションがおこなわれ、2008年8月にはゼロが10個、2009年2月にはゼロが12個、削除されている。2008年におこなわれた大統領選挙ではさまざまな不正と暴力行為が続発し、多くの西欧諸国が経済制裁措置を発動するとともに、それまでZD紙幣を作成していたドイツの会社が印刷を停止した。市場に流通する現金が不足し、銀行口座から1日に引き出せる現金の上限額が極端に低く設定されたため、給料生活者は月給を手にできず、そのあいだにZDの価値は急速に下落していった。そのため、現金と銀行口座にある預金とのあいだで貨幣価値の差が発生するという異様な事態もおこった。2008年からは外貨が支払い手段としてもちいられ始め、2009年2月には公式に外貨化が実施されて、インフレーションは収束した。
このような不確実で流動的な状況に対して、人びとは経済生活の大部分をインフォーマル化し、創意工夫をこらして対処した。そのひとつが「カネを燃やす」というやり方である。まず、外貨をZDに両替するとき、ZDを現金で受け取らず、銀行振り込みにしてもらうことで高いレートで両替する。そしてその預金をATMで引き出して多額のZDを入手する。そしてそのZDを外貨に両替したあと、ふたたび最初の手順にもどるのである。
もちろんこうした対処法が有効なのは短期間にすぎない。「カネを燃やす」方法は、わずかに半年間ほどで破綻した。人びとはひたすらに貨幣と商品をすばやく回転させるなど、渾沌のなかでも多元的な選択肢を創出してこの危機をしのいだのである。(太田至)
[社会・文化ユニット第11回研究会]梅屋潔「ゴールド・スキャンダル前夜:オフンビ家文書に垣間見る紛争の内幕」(2013年07月13日開催)
日 時:2013年7月13日(土)10:30~12:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室2
プログラム
梅屋潔(神戸大学)
「ゴールド・スキャンダル前夜:オフンビ家文書に垣間見る紛争の内幕」
報告
ウガンダでは1965年に「ゴールド・スキャンダル」として知られる疑獄事件が発生した。これは、当時、争乱状態にあったザイール(現コンゴ民主共和国)で産出される金と象牙、コーヒーを、ウガンダの首相であったオボテをはじめとする政治家や軍人が密輸している疑いがあることが、国会で告発されたことに端を発している。その中心人物のひとりはアミン大佐(のちの大統領)であった。オボテは暫定憲法を強行採決して大統領に就任し、対抗勢力とのあいだの対立をつよめ、1966年5月にはアミンが率いるウガンダ軍がブガンダ王カバカの宮殿を攻撃し、「66年危機」と呼ばれる政治的な混乱状態が引き起こされた。 本報告は、この一連の事件に深く関与していたと思われる人物の遺品の一部であった「オフンビ家文書」の分析をとおして、混乱を極めた当時の政局の一端を明らかにし、また、当時の政治エリートがどのような時代を生きていたのかを解読した。(太田至)
[社会・文化ユニット第10回研究会/第13回公開ワークショップ]Michael Bollig 「Fragmentation, Cooperation and Power: The Institutional Dynamics in Natural Resource Governance in North-western Namibia」(第15回Kyoto University African Studies Seminar (KUASS)との共催、2013年05月14日開催)
日時:2013年5月14日 (火) 14:30~16:30
場所:稲盛財団記念館3階、318号室
題目:「Fragmentation, Cooperation and Power: The Institutional Dynamics in Natural Resource Governance in North-western Namibia(断片化と協同、そして権力 ―ナミビア北西部における自然資源管理に関する諸制度の動態-)」
発表者:Prof. Dr. Michael Bollig (Institute for Social and Cultural Anthropology, Vice-Rector for International Relations, Diversity and Academic Career, Universität zu Köln)
要旨
現在、共同で利用される資源の管理に関する理論では、以下のことが仮定されている。すなわち、もし共同体が、資源にアクセスする権利や資源を適切に管理する権利を与えられれば、そして共同体が資源の過剰な利用やただ乗り(コストを負担せずに利益だけを得ること)を防止できる制度をもてるならば、共同体は、持続的な資源管理の制度をつくり出 すことができるようになる。農村地域の共同体は、持続的で効率的な資源管理を実現するための基礎となりうるとみなされ、資源を私有化したり国家の管理のもとにおくというやり方に対して、共同体は有効な代替策となると考えられてきた。
ナミビアでは近年、農村地域における資源のコミュナルな管理をめざして包括的な法改正がおこなわれ、土地の持続的な利用と農村の発展を同時に達成するための制度的な枠組みを創出する試みがなされてきた。そして政府は農村の共同体に対して、さまざまな権利を委譲したが、そのやり方があいまいで断片的なものであったために、異なる主体のあいだで土地所有権が重複してしまうという多くの事例が発生した。
現在、農村共同体は、こうして出現した「新しいコモンズ」をどのように制度化するのかという課題に取り組んでいる。その制度は、以前から存在する共同体的な制度のうえに接合されるのだが、同時に、国家による法律の制定と NGO の参画にも影響を受けることになる。
この発表では、こうした制度が形成されていくプロセスを論ずる。その際には、とくに、集団(共同体)の境界を決める必要性から生じる諸問題、新たに決められた土地の共同所有体制のもとでおこなわれる監視と制裁から発生する問題点、そして、CBNRMがたどってきたさまざまな軌跡にはどのようなイデオロギーの土台があるのかに焦点をあてる。
ABSTRACT
Contemporary theoretical accounts of common pool resource management assume that communities are able to develop institutions for sustainable resource management if they are given security of access and appropriate rights of management, and if they can develop institutions that prevent free-riding and over-exploitation. Rural communities have been conceptualized as cornerstones of sustainable and efficient resource management: as a viable alternative to privatizing resources or putting them under state administration. In recent years comprehensive legal reforms of communal rural resource management in Namibia have sought to create an institutional framework linking sustainable land use and rural development. The state, however, ceded rights to communities in an ambiguous and fragmented manner, creating a number of instances of overlapping property rights. Nowadays communities grapple with the challenge of instituting these “new commons”, which are grafted onto earlier communal institutions, but also shaped by state legislation and the engagement of non-governmental organizations. This presentation describes the process of institutional development, focusing on the challenges arising from the necessity to define group boundaries, the issues arising from monitoring and sanctioning within a newly defined common property regime, and the ideological underpinnings of different trajectories of community based natural resource management (CBNRM).※ 講演及び配布資料は英語を使用いたします。日本語資料は発表要旨のみとなります。
共催:
アフリカ地域研究資料センター
科研基盤(S)「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」(代表者:太田至)
この講演会は、京都ケルン姉妹都市提携50周年記念事業のひとつとして実施します。
[社会・文化ユニット第9回研究会/第12回公開ワークショップ]Wilbert Zvakanyorwa Sadomba「The Urban Working Class Dimensions of Zimbabwe’s War Veterans Revolution: New Empirical Evidence from the Informal Sector」(第12回Kyoto University African Studies Seminar (KUASS)との共催、2013年03月19日開催)
日時:2013年3月19日 (火) 16:00~18:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2
題目:「The Urban Working Class Dimensions of Zimbabwe’s War Veterans Revolution: New empirical evidence from the informal sector」
発表者:Dr. Wilbert Zvakanyorwa Sadomba (Department of Sociology, University of Zimbabwe)
要旨
The revolution that has been spearheaded by Zimbawean veterans of the 1970s guerrilla war has pushed Africa’s political, social and economic struggles to new horizons. It raises fresh philosophical questions about postcoloniality of and in Africa. The revolution, rooted as it is in the liberation struggle that culminated in a protracted war from the1960s to 1979, lay a political foundation that continues to shape philosophical thought and social practice of this small nation, with ripple effects on the whole continent and perhaps other developing nations across the world. The essence of this revolution is its combined challenge of neo-colonialism and imperialist domination supported by settler economic hegemony. There are four distinct rural and urban movements on which this revolution was anchored, viz. the land, informal mining, housing cooperatives and informal industry and trade movements. A combination of the two books focus on the land and housing cooperatives. Of the five the land movement was the most popularised and internationalised but it was by no means the most dramatic or even the most sustainable but on the contrary it was the most vulnerable to neo-colonial forces and imperialist attacks. However it was also the most symbolical. Current studies on the informal industrial movement add more empirical evidence to this theorisation. Future studies will pursue informal mining as part of the war veterans revolution. The address will illustrate how the war veteran revolution generated a centrifugal force that span the movements and it will discuss relative successes and failures of these in the current political stalemate of the country.(※講演は英語で行われます。日本語通訳および日本語資料はございません。事前申込不要/参加無料。どなたでもご参加いただけます。)
共催:
・京都大学アフリカ地域研究資料センター
・科研基盤(S)「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」(代表者:太田至)
[社会・文化ユニット第8回研究会/第11回公開ワークショップ]Ronald Niezen「Human Rights NGOs and Strategies of Public Justice in Sub-Saharan Africa」(第11回Kyoto University African Seminarとの共催、2013年02月02日開催)
日 時:2013年2月2日(土)15:00〜17:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2
プログラム
15:00-17:00
Ronald Niezen (Department of Anthropology, McGill University)
ロナルド・ニーゼン(マギル大学)
“Human Rights NGOs and Strategies of Public Justice in Sub-Saharan Africa”
「サブサハラ・アフリカにおける人権NGOと公共的正義の戦略」
要旨
人間の権利を侵害する者の評判を落とすような告発や抗議運動は、国家を人権遵守の方向へと動かすために、もっとも大きな影響力をもつもののひとつである。このような「恥の政治」の効果やその結末は、NGOネットワークの性質や、正義を求めるロビー活動への参加のあり方によって、多様なかたちをとる。このことは、西アフリカのトゥアレグの主張や戦略と、ケニアのサンブル社会におけるウモジャ女性村のそれとを比較することでよく理解できるだろう。国際的な先住民運動がサブサハラ・アフリカでも展開されるようになってきたことは権利遵守が進む過程について考える機会を提供しているし、その過程は、遠く離れた場所にいる人びとを受け手とするトランスナショナルな公共的取り組みに影響を受けている。
The most significant influence on states that moves them in the direction of human rights compliance involves campaigns of public exposure and protest intended to apply reputational costs to violators of rights. The effectiveness and social consequences of these “politics of shame” vary considerably according to the nature of NGO networks and public participation in justice lobbying. This can be understood by comparison between the claims and strategies of the Tuareg in West Africa and those of the Umoja Women’s village among the Samburu of Kenya. The extension of the international movement of indigenous peoples into sub-Saharan Africa presents an opportunity to consider emerging processes of rights compliance, influenced by trans-national public engagement with distant public audiences.
[社会・文化ユニット第7回研究会]石田慎一郎「おそろしい隣人:ケニア・ニャンベネ地方40世帯10年の事件簿」、近藤英俊「敵対・同盟関係と妖術の『効果』」(2012年10月27日開催)
日 時:2012年10月27日(土)
場 所:首都大学東京南大沢キャンパス国際交流会館1階中会議室
プログラム
13:00~14:50
石田慎一郎(首都大学東京)
「おそろしい隣人:ケニア・ニャンベネ地方40世帯10年の事件簿」
15:00~17:00
近藤英俊(関西外国語大学)
「敵対・同盟関係と妖術の『効果』」
報告
石田氏は、ケニア中央高地ニャンベネ地方の一集落における独自の紛争処理について論じた。この地方では近年土地が希少となり、1989年の土地登記事業開始以降、人びとが土地をめぐる権利意識を変化させ、土地所有に大きく関わるクランの役割もそれに伴い強化されてきた。そのような状況下、集団間同盟(イシアロ)=「おそろしい隣人」が紛争処理に利用されている。1つのクランに対し、特定の2つのクランがイシアロ関係となっており、イシアロには相互扶助や信義誠実が要求され、背くと制裁される。石田氏は、人びとがこの関係を利用し、個人間の争いなどでイシアロを使って宣誓や呪詛で解決を図ったり、賠償のとりたてを行っていることを指摘し、「官」や「専門家」に依存しない当事者同士の紛争処理が行われていることを、10年の事件簿を通して明らかにした。
近藤氏は、北ナイジェリアの都市カドゥナにおける、ある呪術師一家に起こった5つの事件(近藤氏自身が巻き込まれたものを含む)を取り上げ、グローバル化のなかでの平準化や蓄財といった妖術論を超え、当事者にとっての妖術がいかにリアルであるのかを例証した。家の主人で妖術師の男性は、一見ささいにも思えるネガティブな偶然の重なりに次々と妖術のラベルを貼り、出来事としての終止符を打っていく。それは彼にとって、わからなさ、不確実性を解決する手段でもある。当事者にとって、すべての出来事が必然だと感じられていく、つまり偶然性と必然性が重なり、妖術へと結びついていく過程とメカニズムが詳細に論じられた。また、その背景に、言語、宗教、民族的に「超多文化」であるカドゥナという都市社会の影響があることが示唆された(平野(野元)美佐)。