日時:2014年10月4日(土)
場所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室1
プログラム
アフリカ潜在力としての「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」
報告
2014年12月にカメルーン・ヤウンデで行われる第4回国際フォーラムに向けて、社会・文化ユニットのメンバーとフォーラムでの発表者が集まり、議論を行った。フォーラムでキーノート・スピーチを行うカメルーン人人類学者で、南アフリカ・ケープタウン大学で教鞭をとるフランシス・B・ニャムンジョ(Francis B. Nyamhjoh)氏の主要概念である「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」について議論し、理解を深めた。
具体的には、平野(野元)美佐が論文”A child is one person’s only in the Womb”について発表し、大石高典氏が論文”Our traditions are modern, our modernities traditional”について発表し、参加者全員で議論を行った。
コンヴィヴィアリティとは本来、饗宴、陽気さ、宴会気分といった意味をもつが、イヴァン・イリイチが、それを社会科学の議論のなかでの分析に用いて以来(1973に出版されたTools for Conviviality邦訳『コンヴィヴィアリティのための道具』など)、教育学や社会学、人類学などで広く使われるようになった。イリイチによるコンヴィヴィアリティは、自立した個人が周りの環境(共同体、一次集団等)と創造的に交わるなかで、個人の自由や創造性が共同体などの集団と調和しながら共生している状態を指す。
ニャムンジョ氏のコンヴィヴィアリティも同じようなトーンをもち、異なったり競合したりするエージェントが、利用されたり騙される恐れなしに共存し、相互浸透、相互依存、相互主体性の精神を吹き込まれた全体の一部となっていること、とされる。とりわけ集団と個人との関係について論じられ、個人が集団の犠牲になることなく、集団に属しながらも個人の達成を追求し、それが集団に承認され、相互に支え合う状態のあり方をコンヴィヴィアリティと呼ぶ。しかしその状態はつねに交渉され、更新され続ける動的なプロセスとされる。
アフリカの紛争と共生について、社会・文化的側面からアプローチする本ユニットにとって、この概念は大変有効である。アフリカにおける紛争解決のために、あるいは共生を維持するために、共同体が活躍している地域は多い。しかしその共同体という集団は、個人に犠牲を強いたり、個人による改革に抵抗を示すことがある。共同体を否定するでもなく、個人に犠牲を強いるのでもないコンヴィヴィアルな状態はいかに生み出されるのか、あるいはそのような状態はいかに保ち続けられるのかを考えることは、本ユニットにとって欠かせない課題であるといえよう(平野美佐)。