[第8回全体会議/第3回東アフリカ・クラスター研究会]「紛争のないタンザニア―その要因と展望」(2012年11月17日開催)

日 時:2012年11月17日(土) 10:00~14:30
場 所:京都大学吉田キャンパス・総合研究2号館 4階大会議室(447号室)

プログラム

10:00~10:30:事務連絡
10:30~11:20:根本利通(JATAツアーズ・代表取締役)
「大都市における多民族の混住と紛争回避」
11:20~12:10:伊谷樹一(京都大学アフリカ地域研究資料センター・准教授)
「農村でのもめごとと解決方法(仮題)」
12:10~13:00 昼食
13:00~13:40:中川坦(前駐タンザニア大使、元農林水産省消費・安全局長)
「安定に対するさまざまな懸念―経済成長とニエレレの理想の後退」
13:40~14:30:総合討論
司会:荒木美奈子(お茶の水女子大学・准教授)

要旨

1961年にイギリスからの独立を果たしたタンガニイカは、1964年にザンジバル人民共和国と連合してタンザニア連合共和国(以下、タンザニア)を樹立した。タンザニアの初代大統領となったジュリアス・ニエレレは、1967年の「アルーシャ宣言」において家族的紐帯を基礎としたアフリカ的社会主義を提唱した。これは「ウジャマー」と呼ばれる行政村を単位としつつ、自立と資源の共有を政策の中核に据えながら、争いのない平等な社会の実現に向けて集住化・集団農場の経営・スワヒリ語による初等教育の徹底といった独自の政策を含んでいた。しかし、ウジャマー村政策が実施された1970年代は、頻発する干ばつやオイルショック、ウガンダ戦争などによって国家経済が疲弊し、ウジャマー村政策の推進力は急速に失われていった。そして1985年にニエレレは退陣し、1986年には構造調整計画を受け入れて資本主義経済に政策転換した。

「アフリカの年」以降、相継いで独立を果たしたアフリカ諸国は自立的な国家の建設に取り組んだが、食料自給や経済的自立への道は険しく、貧困や政情不安のなかで政変や民族紛争が繰り返され、タンザニアはそうした近隣諸国からの難民受入国となっていた。タンザニアも連合共和国の成立から今日までのあいだに、さまざまな政策転換や経済体制の変化を経験し、ときにそれは国民に強制的な移住や厳しい経済的困窮を強いることになり、ニエレレが理想とした自立的な国家像からは乖離していった。しかしタンザニアでは、周辺諸国の内紛をよそに、この半世紀のあいだ一度も大規模なクーデターや民族間の抗争は起こっていない。無論、まったく混乱がないわけではなく、ザンジバルでは総選挙のたびに与野党間の武力衝突が起きてはいるが、それが激化・常態化したり、大規模な宗教・民族対立に発展するようなことはなかった。

経済低迷の時代を経て、2000年代中頃からアフリカ諸国は急速な経済成長を見せ始めた。その原動力となったのは地下資源であり、世界的な原油・鉱物価格の高騰と海外資本による資源の開発競争によって大量の資金がアフリカに流れ込んできたのである。タンザニアの経済成長を支えてきた一つは金鉱山であるが、すべての国民がその恩恵を受けてきたわけではなく、むしろそれにともなう物価の高騰や都市中心の政策が地方の経済を圧迫し、かえって経済格差を拡大することになっている。

本会では、過去半世紀のあいだにタンザニアにおいて大規模な紛争が起こらなかったという事実に注目し、その要因を都市・農村・政治の各視点から捉え、制度・規範・慣習・政策のなかに争いを回避する機構を探る。農村社会には日常的なもめ事を鎮静化するローカルな規範が存在し、また多民族が混住する都市社会のなかにも秩序を保つ身体化された暗黙のルールを見ることができる。こうした秩序を維持する機構は政治組織や政策にも反映されているように思える。秩序を保つうえで、タンザニアのミクロとマクロ社会を貫く共通の概念が存在するならば、それはどのようなもので、歴史のなかでどのように育まれてきたのだろうか。そしてそれは、複雑化する現代社会においても有効に機能し続けるのかどうかを検討してみることにする。

「大都市における多民族の混住と紛争回避」
根本利通(JATAツアーズ・代表取締役)

タンザニアという国家が形成された歴史的な流れを宗教・民族・教育制度などの観点から俯瞰するとともに、多くの民族が混住する都市社会において、人々はいかにして対立を回避し、また協調してきたのかを事例を通して分析する。

「農村でのもめごとと解決方法」
伊谷樹一(京都大学)

タンザニアでは法律や条令によって秩序が保たれている。しかし、農村社会には現代法では解決できない複雑な問題も多々存在し、彼らはそれを慣習的な方法で解決してきた。本会では、タンザニアの農村社会に潜むいくつかの問題を取り上げ、それへの農民の対処について報告し、農村で見られる対立の回避機構について検討する。

「安定に対するさまざまな懸念―経済成長とニエレレの理想の後退」
中川 坦(前駐タンザニア大使、元農林水産省消費・安全局長)

資源のない「平等に貧しい社会」では国民の不満も昂ぶらず、社会は低位に安定していたといってよい。しかし、2003年以降、世界的な地下資源価格の高騰によってタンザニアの経済は急速に成長し、経済的な格差が一気に顕在化してきた。ニエレレが理想とした平等な社会は、経済偏重の流れのなかで後退しつつある。タンザニアが育んできた「争いを未然に防ぐ制度や体制」は、グローバル化社会においても不安定要素を解消する機能を保持できるのか、今後のガバナンスの動向を見ながらこの国の将来を展望する。

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