[東アフリカ・クラスター第7回研究会 / 経済・開発ユニット第11回研究会]「成果出版に向けた構想発表第3回」(2014年11月8日開催)
日 時:2014年11月8日(土)
場 所:稲盛記念館3階小会議室II
プログラム
八塚春名(日本大学)
「生業からアフリカの『先住民』を再考する―タンザニアのサンダウェとハッツァの比較」
上田元(東北大学)
「ケニア西部農村における井戸水利用 ―待ち行列の実態と規則の可変性―」
八塚春名(日本大学)
「生業からアフリカの『先住民』を再考する―タンザニアのサンダウェとハッツァの比較」
八塚春名氏は、タンザニアにおいて狩猟採集民と認識されてきたハッツァとサンダウェという2民族の生業活動を比較し、アフリカにおける「先住民」概念について考察した。彼らは1980年代末に「東アフリカにおける先住民」として名前が挙げられている。発表では、ハッツァとサンダウェの生業活動、食事内容、近隣民族との関係、彼らに対する外部からの関与及び、彼らの先住民運動への関わりを比較した。現在のサンダウェは狩猟採集よりも農耕を基盤とした生活を営んでおり、土地を収奪される可能性は低く、近隣民族とそれほど変わらない生活を送っている。そのため、国際的なNGOなどから「先住民」として認識されることはほとんどないという。一方、狩猟採集をおこないながらも、それを利用した観光業に従事するハッツァは、先住民運動や観光をとおして狩猟採集民としてのイメージが強調されていっている。「先住民」概念は政治的あるいは社会的な側面から議論されがちであるが、生業実践やそれによるイメージがも大きく影響していると結論付けた。質疑応答では、前提としてサンダウェを先住民と考えて良いのかという質問が出たが、八塚氏はアフリカにおいて「先住民」が議論され始めた頃に、サンダウェは「先住民」として名前が挙げられていたこと、またそのことはおそらく、サンダウェが狩猟採集民だと考えられていたことに起因していると考えられると答えた。さらに、現在のサンダウェの苦悩がよくわからない、狩猟ライセンスがないということがどれほど彼らにとって困ることなのかがよく分からない、という質問が出されたが、それに対しては、実際に狩猟ができるかどうかではなく、サンダウェが狩猟をおこなうことが法的あるいは社会的に認められるか否かということが重要であると答えた。
上田元(東北大学)
「ケニア西部農村における井戸水利用 ―待ち行列の実態と規則の可変性―」
上田元氏は、水資源ガバナンスに関する研究において、利害を調整する政治的・組織的過程については多くの研究が蓄積されているものの、実際に水を利用している人々の姿が見えていないという点に注目し、井戸に並ぶ人々の行列の規則変化から争いをいかに回避、または解決しているのかを明らかにする試みを紹介した。聞き取りによると2013年3月から2014年9月の間に3回の行列規則の変更が行われた。また、2014年9月に実施した行列の観察によると、割り込みなどの、規則からの逸脱行為が観察されたことを報告した。質疑応答では、どういう人口密度の地域でどれくらいの範囲の人々のために井戸があるのかという情報が必要であるという指摘があった。また、逸脱行為によって公平性が確保される場合や、規則の改変によって公平性が高まっていると人々が考え、納得している場合においても、実は不公平になっている場合もあるという議論が行われた。最後に、逸脱行為と捉えられがちな行為も規則に含まれていると考えるべきであり、井戸の水量が減少したなどの、危機的状況が生じた際に生じる規則の改変を「規則変化」と捉えるべきである、という意見が出された。(伊藤義将)
[東アフリカ・クラスター第6回研究会/経済・開発ユニット第9回研究会]「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」(2014年07月19日開催)
日 時:2014年7月19日(土)10:00~12:30
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2
プログラム
「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」
津田みわ(日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター アフリカ研究グループ長代理)
池野 旬(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授)
報告
アフリカ諸国で現在多発している土地をめぐる種々の対立の原因・展開過程・調整方策を検討するにあたって、各国での土地政策の多様な歴史的背景に配慮する必要がある。そのような発想のもとに、具体的な事例として、同じく旧イギリス領でありながら、明白に異なる土地政策を展開してきたケニアとタンザニアを比較して紹介した。
ケニアについては、津田みわ氏が報告した。ケニア海岸部の10マイル帯は、植民地期にザンジバルのスルタンの勢力範囲であると認定され、アラブ人やスワヒリ人に大規模な土地の保有が認定された。そして独立後に、内陸部の民族集団、なかでもキクユが海岸部に土地を確保するようになり、現地の民族集団ミジケンダの不満が高まった。近年に海岸部で暴動が発生している背景には、このような土地問題が潜んでいる。
タンザニアについては、池野が報告した。タンザニアにおいては、1970年代のウジャマー村建設期に、植民地期から認定されてきた慣習的な土地権が曖昧となった。1999年には「土地法」や「村落土地法」が発布され、「慣習的占有権」が再定義・再認定されたが、必ずしも慣習的とは言えない権利を含む定義であり、今後問題が発生する危険性を秘めている。(池野旬)
[東アフリカ・クラスター第5回研究会]小川さやか「タンザニアの路上商人による暴動と組合化―ストリートの指示とインフォーマル性の再考」(経済・開発ユニット第5回研究会との共催、2013年07月13日開催)
日 時:2013年7月13日(土)10:30~12:30
場 所:京都大学 稲盛記念館 3階 小会議室Ⅰ
プログラム
タンザニアの路上商人による暴動と組合化―ストリートの指示とインフォーマル性の再考
小川さやか(立命館大学 先端総合学術研究科)
報告
2010年10月にタンザニア・ムワンザ市で実施された選挙では、スワヒリ語のスラングを使った街頭演説、若者による路上デモの組織化、SNS(facebookやtwitter)の活用といった「政治のストリート化」がみられた。この選挙では、路上商人(マチンガ)の問題がひとつの争点となった。マチンガの組合SHIUMAは2006年、市当局に対して市中心部の市場建設を要望したが、断られた。一方、野党CHADEMAは市中心部に専用デパート、マチンガ・コンプレックスの建設を選挙公約に入れ、ムワンザ市の国会議員選挙では野党CHADEMA(民主開発党)が与党(CCM)に勝利した。しかし、マチンガ・コンプレックスに入ることをめぐって、マチンガ組合に参画するマチンガたちの分裂を生み出し、異なる業種や宗教、営業場所にもとづく、さまざまな組合が結成されるにいたった。コンプレックスで営業をはじめたマチンガたちは、高い賃貸料を支払う必要があり、かならずしも成功を意味するものではなかった。CCMによる資金貸与をきっかけに、SHIUMAが分裂する。マチンガの多様性から「一貫した中身のなさ」に肯定的な態度がみられ、マチンガ組合に参加する目的はマチンガを脱することにあり、多様な政党や機関との連携を模索しながら、利益を引き出せる政党・団体と連携していくことが重要だと指摘された。これらの動きを、おもにタンザニアにおける政治動向とのつながり、マチンガ組合のもつ政治性について議論された。(大山修一)
[東アフリカ・クラスター第4回研究会]波佐間逸博「牧畜家畜―人間の共生的な関係:東ナイロート牧畜社会の個体主義」(2013年05月11日開催)
日 時:2013年5月11日(土) 10:00~12:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館 小会議室1
プログラム
「牧畜家畜―人間の共生的な関係:東ナイロート牧畜社会の個体主義」
波佐間逸博(長崎大学)
報告
波佐間氏は、ウガンダ北東部の牧畜民カリモジョンとドドスにおける人―家畜関係、人―人関係の特徴について論じた。波佐間氏はまず人―動物関係をめぐる既存の議論を批判的に検討したあとで、家畜の特定個体が人間からの名前の呼びかけに適切に反応しており家畜が人間を個体識別していることなどから、この地域の牧畜民に特徴的な家畜―人間関係の特徴として「個体主義的な共生関係」を抽出した。さらに、近隣集団とのレイディングの事例を検討しながら、牧畜民が他者を「敵/仲間」といった集団範疇に回収するのではなく、対面的な相互行為にもとづき他者をそのたびごとに個別化していることに注目した。そして、人―家畜関係、人―人関係に共通する牧畜民に特徴的な他者に対する態度として「かけがえのない個へのアテンション」をあげた。討論の場では、西洋的な「個人性」と英語では同じ語で示される「個体性(individuality)」という語が牧畜民の特徴を表す際に適切なのか、付与される「個体性」には、個別の家畜ごと、他者ごとに濃淡があるのではないか、人―家畜関係における「個へのアテンション」と人―人関係における「個へのアテンション」の関係はどのようなものか、といった点が論じられた。(佐川徹)
[第8回全体会議/第3回東アフリカ・クラスター研究会]「紛争のないタンザニア―その要因と展望」(2012年11月17日開催)
日 時:2012年11月17日(土) 10:00~14:30
場 所:京都大学吉田キャンパス・総合研究2号館 4階大会議室(447号室)
プログラム
10:00~10:30:事務連絡
10:30~11:20:根本利通(JATAツアーズ・代表取締役)
「大都市における多民族の混住と紛争回避」
11:20~12:10:伊谷樹一(京都大学アフリカ地域研究資料センター・准教授)
「農村でのもめごとと解決方法(仮題)」
12:10~13:00 昼食
13:00~13:40:中川坦(前駐タンザニア大使、元農林水産省消費・安全局長)
「安定に対するさまざまな懸念―経済成長とニエレレの理想の後退」
13:40~14:30:総合討論
司会:荒木美奈子(お茶の水女子大学・准教授)
要旨
1961年にイギリスからの独立を果たしたタンガニイカは、1964年にザンジバル人民共和国と連合してタンザニア連合共和国(以下、タンザニア)を樹立した。タンザニアの初代大統領となったジュリアス・ニエレレは、1967年の「アルーシャ宣言」において家族的紐帯を基礎としたアフリカ的社会主義を提唱した。これは「ウジャマー」と呼ばれる行政村を単位としつつ、自立と資源の共有を政策の中核に据えながら、争いのない平等な社会の実現に向けて集住化・集団農場の経営・スワヒリ語による初等教育の徹底といった独自の政策を含んでいた。しかし、ウジャマー村政策が実施された1970年代は、頻発する干ばつやオイルショック、ウガンダ戦争などによって国家経済が疲弊し、ウジャマー村政策の推進力は急速に失われていった。そして1985年にニエレレは退陣し、1986年には構造調整計画を受け入れて資本主義経済に政策転換した。
「アフリカの年」以降、相継いで独立を果たしたアフリカ諸国は自立的な国家の建設に取り組んだが、食料自給や経済的自立への道は険しく、貧困や政情不安のなかで政変や民族紛争が繰り返され、タンザニアはそうした近隣諸国からの難民受入国となっていた。タンザニアも連合共和国の成立から今日までのあいだに、さまざまな政策転換や経済体制の変化を経験し、ときにそれは国民に強制的な移住や厳しい経済的困窮を強いることになり、ニエレレが理想とした自立的な国家像からは乖離していった。しかしタンザニアでは、周辺諸国の内紛をよそに、この半世紀のあいだ一度も大規模なクーデターや民族間の抗争は起こっていない。無論、まったく混乱がないわけではなく、ザンジバルでは総選挙のたびに与野党間の武力衝突が起きてはいるが、それが激化・常態化したり、大規模な宗教・民族対立に発展するようなことはなかった。
経済低迷の時代を経て、2000年代中頃からアフリカ諸国は急速な経済成長を見せ始めた。その原動力となったのは地下資源であり、世界的な原油・鉱物価格の高騰と海外資本による資源の開発競争によって大量の資金がアフリカに流れ込んできたのである。タンザニアの経済成長を支えてきた一つは金鉱山であるが、すべての国民がその恩恵を受けてきたわけではなく、むしろそれにともなう物価の高騰や都市中心の政策が地方の経済を圧迫し、かえって経済格差を拡大することになっている。
本会では、過去半世紀のあいだにタンザニアにおいて大規模な紛争が起こらなかったという事実に注目し、その要因を都市・農村・政治の各視点から捉え、制度・規範・慣習・政策のなかに争いを回避する機構を探る。農村社会には日常的なもめ事を鎮静化するローカルな規範が存在し、また多民族が混住する都市社会のなかにも秩序を保つ身体化された暗黙のルールを見ることができる。こうした秩序を維持する機構は政治組織や政策にも反映されているように思える。秩序を保つうえで、タンザニアのミクロとマクロ社会を貫く共通の概念が存在するならば、それはどのようなもので、歴史のなかでどのように育まれてきたのだろうか。そしてそれは、複雑化する現代社会においても有効に機能し続けるのかどうかを検討してみることにする。
「大都市における多民族の混住と紛争回避」
根本利通(JATAツアーズ・代表取締役)
タンザニアという国家が形成された歴史的な流れを宗教・民族・教育制度などの観点から俯瞰するとともに、多くの民族が混住する都市社会において、人々はいかにして対立を回避し、また協調してきたのかを事例を通して分析する。
「農村でのもめごとと解決方法」
伊谷樹一(京都大学)
タンザニアでは法律や条令によって秩序が保たれている。しかし、農村社会には現代法では解決できない複雑な問題も多々存在し、彼らはそれを慣習的な方法で解決してきた。本会では、タンザニアの農村社会に潜むいくつかの問題を取り上げ、それへの農民の対処について報告し、農村で見られる対立の回避機構について検討する。
「安定に対するさまざまな懸念―経済成長とニエレレの理想の後退」
中川 坦(前駐タンザニア大使、元農林水産省消費・安全局長)
資源のない「平等に貧しい社会」では国民の不満も昂ぶらず、社会は低位に安定していたといってよい。しかし、2003年以降、世界的な地下資源価格の高騰によってタンザニアの経済は急速に成長し、経済的な格差が一気に顕在化してきた。ニエレレが理想とした平等な社会は、経済偏重の流れのなかで後退しつつある。タンザニアが育んできた「争いを未然に防ぐ制度や体制」は、グローバル化社会においても不安定要素を解消する機能を保持できるのか、今後のガバナンスの動向を見ながらこの国の将来を展望する。
[東アフリカ・クラスター第2回研究会]山本佳奈「季節湿地の利用をめぐる住民の対立と和解―タンザニア・ボジ高原の事例―」(2012年07月14日開催)
日 時:2012年7月14日(土)15:00~17:30
場 所:稲盛記念館3階 小会議室1
プログラム
「季節湿地の利用をめぐる住民の対立と和解-タンザニア・ボジ高原の事例-」
山本佳奈(日本学術振興会特別研究員/京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
報告
報告では、1986年の構造調整計画の導入以降、タンザニア南部のボジ高原においてコーヒー園への転換にともなうトウモロコシ畑の狭小化が顕著になったことが述べられ、それが引き金となって起こった季節湿地の耕地化をめぐる住民の対立と和解のプロセスについて、2つの異なる事例が紹介された。ある村の事例では、土地不足の若者を中心とする耕地化の推進派と、湿地に残る神聖な森や放牧地を守ろうとする長老・村評議会・村民会議とが対立したが、推進派が独走して耕地開発をすすめた後に、1つの森と湿地(放牧地)の一部を残して耕地化することで両者が和解した。別の事例では、ある程度、湿地の耕地化が進んだ後に、村評議会が残された湿地(放牧地)の耕地分譲を決めたが、これに反対する放牧者・村民会議が、上位の行政アクター(県)に働きかけて、放牧地を確保した。
討論では、村の最高議決機関である村民会議や、1999年村落土地法で村の土地の配分主体となっている村評議会が機能しつつ、それらの決定があまりにも簡単に反故にされることが議論された。とりわけ、1つ目の事例において、村民会議で湿地の耕地化を認めなかった保守多数派が、決定を無視した湿地開発を黙認し、やがて保守派の長老も含めて次々と追従していったことに関心が集まった。
ケニアやルワンダでは同様のルール違反者がでた場合、必ずといってよいほど暴力的な制裁が加えられたり、県レベルの警察力介入や法的係争に発展したりすることが紹介され、タンザニアではいまだ人口あたりの「開発可能な土地」が比較的多く残ることによって、土地をめぐる紛争が激化しない可能性が指摘された。
また、村民会議は、いったんは長老や村評議会など伝統や権威に従う「総意」を出しつつ、社会的・経済的な状況の変化にそぐわない場合はその評決の反故を黙認したり、あるいは村評議会の暴走を諌めるために上位レベルの行政に働きかけるなど、巧妙に紛争を回避しつつ変化を合理的に制御しているようにも見えること、こうした特徴は、村民に加えて県から派遣された地方行政官が有力なメンバーとなっているという特異なメンバー構成に因るかもしれないことなどの検討課題が提起され、今後、他のアフリカ諸国の村行政組織との比較などを通じて議論を深めていく必要性が確認された。(近藤史)