[第3回全体会議]「南アフリカ共和国における真実和解委員会の活動と人びとの和解」(2011年11月26日開催)

日 時:2011年11月26日(金)11:00〜14:30
場 所:学友会館 1階 会議室

プログラム

10:00~10:15 事務連絡
10:15~11:15 阿部利洋(大谷大学)
「南アフリカ真実和解委員会の活動とその後」
11:15~12:15 峯陽一(同志社大学)
「藪の中の正義と親密圏―ある「良心的アフリカーナー」による南アフリカTRCの記録」
12:15~12:40 休憩
12:40~13:20 山本めゆ(京都大学)
「TRCにおける和解と恩赦」
13:20~14:30 討論

報告

阿部利洋「南アフリカ真実和解委員会の活動とその後」

阿部利洋氏は、南アフリカの真実和解委員会(TRC)の活動内容とその特徴、それに対してなされてきた評価や分析について論じた。TRCの活動は、1995年に制定されたTRC法がその法的基盤となったが、法文上では「真実」や「和解」という語が定義されなかった点が特徴的である。ただしTRCは自己の活動の正統性を確保するためにも、公聴会活動では精密な審査や記録をおこなった。たとえば、TRCはその活動の一つに特赦の付与を含めた点がしばしば注目されてきたが、それは「アパルトヘイトが終わったからたがいに赦しあいましょう」といった、ときに一般に理解されているような内容のものではない。特赦が付与されるためには、なされた行為が「政治的暴力」であったことと、なされた供述が「完全な供述」であることという、ふたつの要件が満たされる必要があった。また実際の特赦公聴会では、TRC委員や会場の聴衆との相互作用によって、自己の責任を否定していた加害者が態度を変更したり、謝罪をおこなった事例があったこと、そしてその場面がメディアをとおして広く国民に伝えられたことが、ふつうの裁判と大きく異なる点であった。

TRCに対する国内での反応としては、法廷での証言者の大多数をアフリカ人が占めておりバランスを欠いていた、被害者支援が不十分であった、などの指摘とともに、2001年になされた国内での社会意識調査では、TRCが人種・民族間関係の改善に果たした役割に対して否定的な回答が目立った。また、国内外から「TRCは~(たとえば、アパルトヘイト政府幹部の召喚)が不十分だった」「TRCは~(たとえば、アパルトヘイト時の汚職の調査)も権限に含めるべきだった」「TRCの基本的な方向性や発想が偏向している」といった批判もなされてきた。阿部氏は、TRCをどう評価し位置づけるのかには多様な立場があることを強調しつつ、自身としては、TRCが「何か良くない状態(たとえば人種間の対立関係)が消滅する」という意味での解決をもたらしたというよりも、南アフリカ社会に「武力衝突から(非暴力的な)交渉・取引・競合関係への移行」をもたらす媒体として作用した可能性があること論じた。
(佐川徹)

峯陽一「藪の中の正義と親密圏―ある「良心的アフリカーナー」による南アフリカTRCの記録」

峯陽一氏は、自身がその邦訳書の解説を執筆したTRCから生まれた著作、『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室、2010年)とその著者についての報告をおこなった。TRCは、その規模の大きさと徹底的な証言記録により特徴づけられるとともに、本格的に免責の制度が導入されたこと、レイシズムに関わる責任が議論されアフリカと西洋との歴史的関係が問われたこと、そして理不尽な死が過剰に存在してきた南アフリカの社会を舞台におこなわれたことが、世界的に大きな注目を集めた理由として挙げられる。この著作は、南アフリカ人の一ジャーナリストが、TRCが進行する渦中で書きあげた「現場からの声」であり、研究者によるより「客観的な」研究成果を補う著作として位置づけうる。また、アパルトヘイト時代の加害者と被害者の関係は、白人と黒人の関係に一対一で対応させられる単純なものではなく、解放運動に関与して殺害された白人や警察のスパイとなった黒人の存在などもありこみいっているが、この著作ではそのような関係のあり方が一定の複雑さを保ちながら描かれている。

著者のアンキー・クロッホは、17世紀半ばにその最初の移民が現在の南アフリカへ入植してきた大陸(おもにオランダ)系白人の子孫、アフリカーナーに属している。アパルトヘイト時代、南アフリカで「ふつうに」くらしていた白人の多くは、大規模かつ組織的になされていた黒人への差別や人権侵害を意識しないままに生活を送ることができた。TRCの場で明るみになった途方もない暴力行為を記者として伝える役割を担った著者は、なによりみずからが「加害集団」の一人であったという事実に直面し、つねにその事実に立ち返りながら記述を進めていく。クロッホは、TRCが次第に国民党やANCらの党利党略の対象とされていったことも批判的に記す。それと同時に、TRCの全プロセスを取材し続けた彼女は、新たな「南アフリカ人」コミュニティをつくりあげていくための条件となる、個人がみずからの罪と責任を認めつつ帰属集団のなかで名誉を保ち続けること、つまり「贖罪と名誉の高次元での融合」の可能性を展望しながら著作を閉じる。(佐川徹)

山本めゆ「TRCにおける和解と恩赦」

山本めゆ氏は、真実和解委員会における恩赦の認定プロセスを検討したうえで、過去の暴力をめぐる解釈の対立、「正義」の認定が困難な状況を明らかにした。恩赦委員会は、1960年代から1994年までの政治的目的と結びつき、アパルトヘイト体制下でおこなわれた個人の行為、不作為、違反を対象としており、恩赦の認定には、過去の加害行為について告白することが条件となされた。恩赦の申請数は7,115件であり、うち1,167件に恩赦が付与された。その申請の多くは、服役中の囚人から提出されたものであり、アパルトヘイト政府の指導者や軍高官からの申請は少なかった。恩赦については、ANCメンバーが一括で恩赦を受けたことに対する旧体制側からの批判と、レジスタンスの暴力は免責されるべきなのかというANC知識人からの批判があった。そして、反アパルトヘイト闘争とアパルトヘイトを支えるための闘争を区別することの是非に対するそれぞれの見解を紹介したうえで、マンデラが真実和解委員会の実効性をもたせる発言をおこない、ANCの諜報機関などが恩赦を申請し、ANC内部の批判勢力を抑えたことが説明された。そして、アパルトヘイト体制における暴力を倫理的に区別することはできるのか、そして、対抗するための暴力は犯罪なのか、真実和解委員会における問題点を整理し、「正義」の認定が難しい現代の紛争の特徴を示した。(大山修一)

討論

討論では、まずTRCを、それ自体として完結した制度や営みとして捉えることの問題が二つの観点から指摘された。一つは、TRCの活動は、南アフリカ社会やその歴史の捉え方を転換させる一つの大きな契機となったことは確かだが、それを紛争処理や和解の終結点とみなすことは妥当ではないという指摘である。TRCが「法的な真実」以外にも「複数の真実」を認め、それらも証言や記録の対象とすることで、通常の司法プロセスでは無視されるアパルトヘイトをめぐる多様な意見や解釈を掬い取ったことは事実である。しかし、そこからもこぼれ落ちてしまう多くの声があり、TRC以外にも、そしてTRC以後にもそのような声を拾い出す試みがなされている。

もう一つは、南アフリカで紛争処理がどれだけ効果的になされたのかという問題を、TRCの制度的問題に還元して説明することは適切ではないことが論じられた。なぜなら紛争処理のあり方は、紛争がどのように始まり、展開し、終結したのか、そして終結後にどの勢力が政権に就いたのか、といった点に規定されることになるからである。移行期司法/正義がなしうることの幅は、あくまで当該社会がそれまでたどってきた経路につよく依存して決定される。これに関連して、アフリカのポテンシャルの「活用」を考える際には、その国や地域で起きた紛争のあり方とその後の体制のあり方を個別的に検討することで、どれだけ紛争処理にポテンシャルが活用できるのかを探っていくことができるかもしれない。

アフリカのポテンシャルについては、阿部氏がTRCは「武力衝突から(非暴力的な)交渉・取引・競合関係への移行」をもたらす媒体として作用した、と指摘している部分に、アフリカのポテンシャルをみてとることもできるのではないか、とのコメントがなされた。阿部氏の述べる「交渉・取引・競合」とは、たとえばアフリカで観察される儀礼の実態と似ている。つまり、機能主義的解釈が想定する「儀礼の執行をとおしてコミュニティが一体化する」というように事態が一方向的に進展することは実際にはまれで、儀礼はしばしば失敗する。しかし、人びとは儀礼を根本的に誤りだとみなすのではなく、儀礼を何度もやり直しながら、そのたびごとに交渉し折り合いをつけ「短期の真実」を見出していくことで事態に対処している。そのような交渉による対処可能性の道が残されていることが、ある種の希望を生み出しているのではないか、という指摘である。

その一方で、TRCが「武力衝突から(非暴力的な)交渉・取引・競合関係への移行」をもたらす媒体として作用した側面があることは確かだとしても、TRCが果たして反アパルトヘイト闘争に参加し命を落とした人びとの思いに見合う場となったのか、あるいはその遺族たちの生活の保障に結びつくような均衡の回復へと向かう流れを南アフリカにつくりだすことができたのか、さらには、TRCにはだれが対等なプレーヤーとして参加することができ、だれが参加できなかったのか、そもそもそのような対等性を確保するためのどれだけの努力が払われたのか、という疑問も出された。くわえて、17世紀半ばから続く差別の歴史を裁くためには、TRCはわずか2年半で終わらせるべきものではなく、むしろ現在まで続けられていてもおかしくなかったのではないか、との指摘もなされた。

最後に、前回のケニアの選挙後暴力を主題とした研究会での議論と重なるが、アフリカにおける紛争処理の全体像を考える際に、アパルトヘイトのような大規模な人権侵害行為はITTや国内法廷などの「法による裁き」をとおして、よりローカルな文脈で発生した紛争はアフリカのポテンシャルを活用することをとおして処理していく、というある種の分業体制を想定することに関する意見交換がなされた。(佐川 徹)

 

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