日時:2015年5月16日(土) 10:30-11:40
場所:京都大学稲盛財団記念館、3階、小会議室II
プログラム
10:30-10:40
太田至(京都大学)
「趣旨説明」
10:40-11:10
松本知子(名古屋大学大学院)
「セネガル社会におけるイスラーム教育の変容:フランコアラブ学校を事例として」
11:10-11:40
八木達祐(立命館大学大学院)
「スラムツアーの現在-観光と住民のコンフリクトを中心に-」
要旨
セネガル社会におけるイスラーム教育の変容:フランコアラブ学校を事例として
松本知子(名古屋大学大学院)
セネガルでは、1960年の独立以降、政教分離の原則を憲法に謳ってきた。国民の9割以上がムスリムである中、公教育においてはフランス植民地政府が導入した世俗的カリキュラムを引き継いできたのである。しかし、ワッド大統領時代の2001年に教育法が改正され、公教育へイスラームが導入されるようになった。まず、カリキュラムに宗教科目が導入され、次いで、フランス語とアラビア語によるバイリンガル教育を実施する公立の「フランコアラブ学校」が建てられ、その数は年々増加している。また、ノンフォーマル教育機関に位置付けられていた私立の「フランコアラブ学校」も、公立の「フランコアラブ学校」と同じカリキュラムの使用や教育施設の整備などの条件を満たすよう努力し、政府に認可を求めるようになってきている。さらに、セネガルの伝統的なクルアーン学校である「ダーラ」を現代化しようとする政策が登場し、認可されたダーラに通うことと公教育を受けることを同等に評価していこうとする動きもある。このようなイスラーム教育を取り巻く環境の変化は、これまで公教育側からはインフォーマルに位置付けられていたものの、長きに渡って地元のイスラーム教団の導師の元で体系的かつ組織的に行われてきたイスラーム教育のあり方に影響を与えている可能性があると考えられる。
本発表では、イスラーム教育の公教育への導入に伴い、従来のイスラーム教育のあり方がどう変容しているかを、フランコアラブ小学校を事例に考察する。発表者は、2014年と2015年の2回に渡り、カオラック州とカフリン州の公・私立フランコアラブ小学校計4校において、生徒、保護者、教員及び視学館を対象としたインタビュー調査を実施し、関係資料を収集した。そして、学校制度、生徒と親のフランコアラブ学校への期待、及び彼らのイスラーム教育に関する行動の変化といった側面に着目しながら、伝統的なイスラーム教育のあり方の変容について質的分析を行った。
公立のフランコアラブ小学校では、カリキュラム、教科書、資格試験の整備が大分進んでいる。2014年度には、アラビア語による資格試験も用意され、合格率は決して高くないが、卒業資格を得られなくとも中学校へ進級できる政策が実施されているため、9割以上の生徒が中学校へ進学している。私立フランコアラブ学校は、独自のカリキュラムに基づいたプログラムと政府のカリキュラムに基づいたプログラムに分かれ、それぞれにおいて政府の承認を受けようとする動きがある。私立校に通う生徒は、公立と違って生徒の年齢が全体的に上がる。ダーラを経由して入学する、または、一旦就職、あるいは結婚・出産してから学校へ戻るというケースが含まれるためであり、公立小学校とは学校の位置付けが違っていると言える。
公立私立とも、児童と親が学校にまず期待することは、よきムスリムになることである。そして、多くの親がイスラームの実践を学校の成果として挙げている。私立校ではこの傾向がより強く、イスラームの基盤を作ることが優先され、フランス語またはその他の世俗的科目は、社会で生きていくための知識であると捉えている。私立の生徒や教員の中には、学校の敷地内に住み、学校を経営するマラブー(イスラーム教団の導師)に生活の面倒を見てもらっている者も多く、教育はイスラーム信仰の実践の一部と捉えているように見られる。
フランコアラブ小学校は、イスラームと世俗社会を生きる知識を得られる場として、人々のニーズに応えている。また、フランコアラブ学校へ通う子どもが増え、それまで就学前にダーラやアラビア語学校へ通う習慣が少しずつ変化してきている。さらに、公式化されたカリキュラムにおける学習スタイルや指導内容は、従来のイスラーム教育のものとは違っていることも観察された。
スラムツアーの現在-観光と住民のコンフリクトを中心に-
八木達祐(立命館大学大学院)
1990年代初頭以降、第三諸国では「貧困街」を巡回するスラムツアーが、経済発展を目指す第三諸国にとって導入がしやすいことや貧困削減を目指すプロプアーツーリズムの展開を背景に拡大してきた。先行研究では観光客のスラムツアーへの期待や「まなざし」、スラム体験を通じた認識の変化、あるいは国家や国際機関、NGO団体による観光開発の推進をめぐる議論に集中しており、観光客のまなざしを受ける地域住民が「生活世界の観光地化」にいかに向き合い対処しているのかは十分に明らかにされてこなかった。
本研究は、ナイロビを調査地とし、スラム住民自身はそのまなざしや関与/介入を受けて、いかに主体的に場の意味づけや社会空間を変容・創出するかを明らかにすることを目指している。本調査では、ケニア(ナイロビ)、南アフリカ(ジョハネスバーグ、ケープタウン)の3地域のスラムツアーへの参与考察により、各地域のツアーの特色とそれに起因するツアーと地域住民とのかかわり方の違いを明らかにした。南アフリカでは大半の会社でツアーの規格化がみられ、観光客が訪れる場所やコースはアパルトヘイト関連の観光地に限定されており、住民の生活世界から一定の距離を保ったとして観光として企図されていた。これに対してケニアでは、ネットカフェ店員の副業としてガイド業に従事する若者をはじめ、「インフォーマルセクター」によるツアーが多数展開されていた。つまりケニアでは住民の日常的な生計実践や社会関係の延長線上に組まれたものとなっており、ツアーを通じた住民と観光客との関係は偶発性な出会いや衝突に開かれていた。
今後の研究では生活世界の観光化がよりダイナミックに変容・展開すると予想されるケニアのスラムツアーをフィールド対象と定め、その展開をより洗練された南アフリカのツアーと比較する形で研究を進めていく。その際、スラム住民が自分たちの生活世界の諸側面の商品化に操作を加えたり、観光客に自らの社会的世界を見せていく際に駆使する「商品化されたペルソナ」という表現技法に着目してその可能性を検討する。たとえば、アフリカの都市人類学では、住民間の異民族同士で互いをステレオタイプ化したイメージで呼び合うことを通じて他者の異質性を強制的に了解し、それをもとに冗談関係のような親密さを醸成していることが指摘されてきた。本研究では、このような日常的な社会関係をやりくりするためのペルソナを使い分ける技法が観光客に対してどのように応用されているのかに注目することで、彼らによる「生活世界」の観光地化の対処を明らかにする。それを通じて、スラムツアーをめぐる倫理的な問いを考察したい。