[社会・文化ユニット第4回研究会]平野(野元)美佐「バミレケ首長制社会の成立過程と紛争」、海野るみ「歴史を営む、他者とつながる―南アフリカ・グリクワの人々にみる争わない術」(2012年1月28日開催)

日 時: 2012年1月28日(土)15:00-18:30
場 所: 京都大学稲盛財団記念館3階第1小会議室

プログラム

15:00~16:00
平野(野元)美佐(天理大学)
「バミレケ首長制社会の成立過程と紛争」
16:10~17:10
海野るみ(明治学院大学)
「歴史を営む、他者とつながる―南アフリカ・グリクワの人々にみる争わない術」
17:20~18:30 総合討論

報告

平野(野元)美佐(天理大学) 「バミレケ首長制社会の成立過程と紛争」

バミレケは、カメルーン西部地域に住む人びとであり、100を超える首長制社会を形成している。植民地化される以前には、こうした首長同士が頻繁にあらそっていたといわれている。本報告では、まず、首長制社会がどのように形成されてきたのかを口頭伝承を手がかりとして分析した。16世紀にはすでにいくつかの小さな首長制社会が形成されていた可能性がある。そして17~18世紀には移住してきた小集団が地元民を征服して新たな首長制社会を形成し、奴隷交易などによる財の蓄積をとおして中央集権化が進んでいったと考えられる。そして、現在の制度が完成したのは、ドイツ人が入植してきた19世紀末になってからである。

バミレケの首長制社会の内部では、首長と地元民とが軋轢と内紛、そしてその解決と共生をくりかえした。また、首長制社会間では、直接的にはお互いを侮辱することを原因として戦争がおこり、それは結果的には、優勢な社会の領土拡大と、個々の首長制社会のアイデンティティ構築につながった。ただし、交易、捕虜の交換、婚姻関係の構築などをとおして、こうした紛争を解決あるいは回避するしくみも存在していた。

海野るみ(明治学院大学) 「歴史を営む、他者とつながる―南アフリカ・グリクワの人々にみる争わない術」

南アフリカ共和国に住むグリクワの人びとを対象として、彼らが「歴史」と呼ぶ実践自体や、その実践をとおして明らかになる規範(あるいは行動の前提ともいうべきもの)が、結果的に他者との紛争を回避することにつながっていることを示すのが、本報告の目的である。グリクワとは、コイコイを中心として、サン、ヨーロッパ人植民者、バントゥ系の人びと、そして解放・逃亡奴隷などが18世紀後半ごろまでに、「バスターズ」と自称しつつ自己形成した人びとであり、首長とその支持者によって形成される多くの共同体を含んでいる。

彼らは1990年代中頃から、国連の先住民作業部会とのつながりを持ち始め、自分たちを先住民として自己規定してゆく。また、この部会には南部アフリカからほかのコイサンの人びとが参加していることを知り、その人びととの交流や連携を深めていった。この過程を分析すると、彼らの社会には「他者を受け入れる」「流動的にくみかえる」「自律性を保つ」という、相互に深く関連する三つの行動指針ともいうべきもの(=規範)が存在することがわかる。そして、こうした規範と行為とは、結果的には他者との争いを回避し、共生関係を維持することにつながっていると考えられる。(文責:太田至)

カテゴリー: 社会・文化(テーマ別研究ユニット) パーマリンク