[経済・開発ユニット第13回研究会]フローレンス・アキイキ・アシムウェ博士「ウガンダにおける寡婦の遺産相続とその問題」 第210回「人間の安全保障プログラム(HSP)」セミナー(東京大学)との共催、2015年12月11日開催)
日時:2015年12月11日(金)13:30-15:00
場所:東京大学駒場キャンパス 18号館4階コラボレーションルーム3
プログラム
演題:ウガンダにおける寡婦の遺産相続とその問題
演者:フローレンス・アキイキ・アシムウェ博士(マケレレ大学、京都大学 アジア・アフリカ地域研究 客員教員)
要旨
この発表では、女性たちのライフヒストリーなどを用いて、ウガンダの女性たちが夫とともに築いた財産に対する権利を、夫の死後に否定されている現状について報告する。夫が遺言を残さずに死去した場合、世帯レベルで生じる財産をめぐるやりとりを提示する。夫の死後にも、女性には財産権が保証されているが、夫が土地所有証明書を取得せずに死去した場合、実際には妻が遺産を相続できないこともある。妻の名前が土地所有証明書に記載されていない場合にも、妻は夫の土地を相続することができず、夫の遺言状がない場合には、その傾向が強くなる。正式な婚姻手続きをとっていなかった場合には、女性が家屋に居住しつづけることも困難となる。夫が妻を遺産の執行人や相続人に指定していなかった場合には、女性は相続人として認められない。また、夫が家屋の相続人として息子を指定した場合、その死後、女性による遺産相続はみとめられない。故人となった夫が女性を家屋の相続人として指定していたとしても、故人と女性とのあいだに子どもがいない場合、故人の実子に対して相続が認められ、女性が財産を相続できないこともある。
詳細はこちらを参照ください。
http://hsp.c.u-tokyo.ac.jp/?lang=ja
第210回「人間の安全保障プログラム(HSP)」セミナー(東京大学)の主催で、本プロジェクトも第13回経済・開発ユニット研究会として共催します。
[経済・開発ユニット第12回研究会]「成果出版にむけた構想発表第4回」(2015年1月24日開催)
日時:2015年1月24日(土)
場所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室1
プログラム
成果出版にむけた構想発表と本の構成についての議論
報告
執筆予定の12名があらかじめ論文の章立てと要旨を提出し、これから完成させる原稿のアウトラインを説明した。参加者で原稿の内容を検討したうえで、部構成や本のタイトルを検討し、今後のスケジュールについても打ち合わせた(大山修一)。
[経済・開発ユニット第11回研究会 / 東アフリカ・クラスター第7回研究会]「成果出版に向けた構想発表第3回」(2014年11月8日開催)
日 時:2014年11月8日(土)
場 所:稲盛記念館3階小会議室II
プログラム
八塚春名(日本大学)
「生業からアフリカの『先住民』を再考する―タンザニアのサンダウェとハッツァの比較」
上田元(東北大学)
「ケニア西部農村における井戸水利用 ―待ち行列の実態と規則の可変性―」
八塚春名(日本大学)
「生業からアフリカの『先住民』を再考する―タンザニアのサンダウェとハッツァの比較」
八塚春名氏は、タンザニアにおいて狩猟採集民と認識されてきたハッツァとサンダウェという2民族の生業活動を比較し、アフリカにおける「先住民」概念について考察した。彼らは1980年代末に「東アフリカにおける先住民」として名前が挙げられている。発表では、ハッツァとサンダウェの生業活動、食事内容、近隣民族との関係、彼らに対する外部からの関与及び、彼らの先住民運動への関わりを比較した。現在のサンダウェは狩猟採集よりも農耕を基盤とした生活を営んでおり、土地を収奪される可能性は低く、近隣民族とそれほど変わらない生活を送っている。そのため、国際的なNGOなどから「先住民」として認識されることはほとんどないという。一方、狩猟採集をおこないながらも、それを利用した観光業に従事するハッツァは、先住民運動や観光をとおして狩猟採集民としてのイメージが強調されていっている。「先住民」概念は政治的あるいは社会的な側面から議論されがちであるが、生業実践やそれによるイメージがも大きく影響していると結論付けた。質疑応答では、前提としてサンダウェを先住民と考えて良いのかという質問が出たが、八塚氏はアフリカにおいて「先住民」が議論され始めた頃に、サンダウェは「先住民」として名前が挙げられていたこと、またそのことはおそらく、サンダウェが狩猟採集民だと考えられていたことに起因していると考えられると答えた。さらに、現在のサンダウェの苦悩がよくわからない、狩猟ライセンスがないということがどれほど彼らにとって困ることなのかがよく分からない、という質問が出されたが、それに対しては、実際に狩猟ができるかどうかではなく、サンダウェが狩猟をおこなうことが法的あるいは社会的に認められるか否かということが重要であると答えた。
上田元(東北大学)
「ケニア西部農村における井戸水利用 ―待ち行列の実態と規則の可変性―」
上田元氏は、水資源ガバナンスに関する研究において、利害を調整する政治的・組織的過程については多くの研究が蓄積されているものの、実際に水を利用している人々の姿が見えていないという点に注目し、井戸に並ぶ人々の行列の規則変化から争いをいかに回避、または解決しているのかを明らかにする試みを紹介した。聞き取りによると2013年3月から2014年9月の間に3回の行列規則の変更が行われた。また、2014年9月に実施した行列の観察によると、割り込みなどの、規則からの逸脱行為が観察されたことを報告した。質疑応答では、どういう人口密度の地域でどれくらいの範囲の人々のために井戸があるのかという情報が必要であるという指摘があった。また、逸脱行為によって公平性が確保される場合や、規則の改変によって公平性が高まっていると人々が考え、納得している場合においても、実は不公平になっている場合もあるという議論が行われた。最後に、逸脱行為と捉えられがちな行為も規則に含まれていると考えるべきであり、井戸の水量が減少したなどの、危機的状況が生じた際に生じる規則の改変を「規則変化」と捉えるべきである、という意見が出された。(伊藤義将)
[経済・開発ユニット第10回研究会]「成果出版に向けた構想発表第2回」(2014年10月11日開催)
日時:2014年10月11日(土)
場所:稲盛記念館3階318室
プログラム
山田肖子(名古屋大学)
「教科書に見る民主主義と多文化共生-エチオピア民主化プロセスにおける公民教育」
伊藤義将(京都大学)
「森林保全活動が内包する矛盾―エチオピア南西部高地森林域の事例から」
山田肖子(名古屋大学)
「教科書に見る民主主義と多文化共生-エチオピア民主化プロセスにおける公民教育」
山田肖子氏は、この発表のなかで、エチオピアの教育セクターの概況、就学者の動向、公民教育における市民性カリキュラムの変遷について発表した。1993年以降の教科書のテキスト分析をつうじて、強調されている内容や価値観を抽出し、これまでのエチオピア市民性教育の特徴を明らかにした。今後の分析ポイントとしては、海外の影響と多民族支配のバランス、連邦政府によるカリキュラムの統一と教育局、実際の教育現場の検証、現政権による正当性の強調といったイデオロギーの3点が挙げられた。
伊藤義将(京都大学)
「森林保全活動が内包する矛盾―エチオピア南西部高地森林域の事例から」
伊藤義将氏は、エチオピア南西部における森林管理プロジェクトに着目し、森林管理組合の結成、森林管理のマニュアル化、森林で採取されるコーヒーのブランド化「フォレスト・コーヒー」をすすめることによって、住民による森林管理にどのような影響を与えたのかを検討した。森林の保有者は、土地を区分し、区画ごとにコーヒーの採集を委託する。コーヒーの採集者は区画の下枝を刈り取り、コーヒーを採集する。採集したコーヒーは、森林の土地保有者と採集者で折半される。コーヒーのブランド化や森林管理を徹底することによって、植物種の多様性は低下し、コーヒー畑のようになっていく傾向があること、採集者と土地保有者の階層化がすすむ可能性を明らかにした。
以上、2件の発表のほか、メンバー全員が成果出版にむけて、短い構想発表をおこない、今後の予定について打ち合わせた。(大山修一)
[経済・開発ユニット第9回研究会 / 東アフリカ・クラスター第6回研究会]「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」(2014年07月19日開催)
日 時:2014年7月19日(土)10:00~12:30
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2
プログラム
「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」
津田みわ(日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター アフリカ研究グループ長代理)
池野 旬(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授)
報告
アフリカ諸国で現在多発している土地をめぐる種々の対立の原因・展開過程・調整方策を検討するにあたって、各国での土地政策の多様な歴史的背景に配慮する必要がある。そのような発想のもとに、具体的な事例として、同じく旧イギリス領でありながら、明白に異なる土地政策を展開してきたケニアとタンザニアを比較して紹介した。
ケニアについては、津田みわ氏が報告した。ケニア海岸部の10マイル帯は、植民地期にザンジバルのスルタンの勢力範囲であると認定され、アラブ人やスワヒリ人に大規模な土地の保有が認定された。そして独立後に、内陸部の民族集団、なかでもキクユが海岸部に土地を確保するようになり、現地の民族集団ミジケンダの不満が高まった。近年に海岸部で暴動が発生している背景には、このような土地問題が潜んでいる。
タンザニアについては、池野が報告した。タンザニアにおいては、1970年代のウジャマー村建設期に、植民地期から認定されてきた慣習的な土地権が曖昧となった。1999年には「土地法」や「村落土地法」が発布され、「慣習的占有権」が再定義・再認定されたが、必ずしも慣習的とは言えない権利を含む定義であり、今後問題が発生する危険性を秘めている。(池野旬)
[経済・開発ユニット第8回研究会]「成果出版に向けた構想発表第1回」(2014年07月12日開催)
日 時:2014年7月12日
今回は、成果出版に向けて構想発表が行われた。まず、編者である高橋基樹氏(神戸大学)から、書籍出版についての説明が行われたのち、荒木美奈子氏(お茶の水女子大学)、近藤史氏(京都大学)、福西隆弘氏(アジア経済研究所)、神代ちひろ氏(京都大学)の4名から構想の発表が行われた。
荒木美奈子氏は「水資源をめぐる『開発実践』における争い・交渉・解決のプロセス」というタイトルで、開発実践のなかで生じる紛争について、自らがかかわったタンザニア、ムビンガ県の山間部のハイドロミル・プロジェクトをめぐる紛争とその解決方法について報告した。発表ではハイドロミルの近くに居住する人々と遠くに居住する人々の間での争い、プロジェクトを支援してきた県と教会によるオーナーシップをめぐる紛争などが事例として取り上げられ、紛争の火種は何だったのか、どのように解決されたのか、誰が調停者になり調停者はどのような役割を担ったのかについて丁寧に説明された。質疑応答では、外部者の影響がどれくらい紛争とその解決に影響を与えているのかという質問や、対立の構造をより明確にする必要があるという指摘がなされた。
近藤史氏は、「植林の産業化にともなう土地とカネをめぐる格差と共生の模索」というタイトルで、植林した樹木が大きな現金収入源となった結果、生じた貧富の格差や不満はどのように解決されているのか、タンザニア南部ンジョンベ州の事例を報告した。質疑応答では、貧富の格差が生じても必ずしも衝突が起こるわけではなく、格差が広がったとしても貧困層の生活が底上げされ、彼らが満足している状態であれば衝突は生じない可能性が高いということが指摘された。また、衝突回避の試みとして紹介された公共事業は、衝突回避が目的とされていない可能性もあるため、執筆の際には注意する必要があるというコメントがあった。
福西隆弘氏はマダガスカルで生じた政変によって輸出先が減少した縫製業に注目して、解雇された労働者の脆弱性がどのようなものなのか、サーベイデータを利用して報告を行った。福西氏は社会階層を分類する際に、収入を基本として分類していたが、質疑応答では、貧困層に分類され、そもそも収入が不安定な人々に対しては、収入よりも比較的安定している支出を基礎として分類する方が良いという指摘がなされた。また、今回注目している比較的貧困な縫製労働者がマダガスカル社会において、どのような位置づけにある人々なのかを明らかにして欲しいとの要望が出された。
神代ちひろ氏は、ブルキナファソの農村で女性住民組織が行うマイクロファイナンスをめぐる紛争とその解決方法を紹介した。質疑応答では、そもそもそこで行われている活動がマイクロファイナンスではない可能性が高く、また女性組織という定義にも当てはまらない可能性があるという指摘がなされ、マイクロファイナンスと女性組織の定義を確実にしたうえで、神代氏が見ているものが何なのかをしっかりと把握する必要性が提起された。また、ストーリーとしては、外部からマイクロファイナンスが持ち込まれたものの、ブルキナファソの農村に暮らす女性たちの価値観にそぐわなかったために、マイクロファイナンスを彼女たち自身で、自分たちの文化に根付いたかたちに変化させたと考えることも可能だろうというコメントがあった。(伊藤義将)
[経済・開発ユニット第7回研究会/第15回公開ワークショップ]西浦 昭雄「成長する東アフリカのビール産業」(第198回アフリカ地域研究会との共催、2013年10月17日開催)
日 時:2013年10月17日 (木) 15:00~17:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室
プログラム
「成長する東アフリカのビール産業」
西浦 昭雄(創価大学学士課程教育機構・教授)
要 旨
東アフリカのビール産業は外資系資本による内需型製造業として成長を遂げている。原料である大麦の現地調達化が推進されることで現地農業にも影響を与えており、例えば、ウガンダ最大手のウガンダ・ブルワリーズ社は6千を超える小売店を定期的に訪問するなど、きめ細かなマーケティング戦略を展開している。本発表ではビール産業を通じてアフリカ経済を理解する新しい切り口を探っていきたい。
[経済・開発ユニット第6回研究会]Othieno Nyanjom「ケニアにおける民族対立と国政選挙」(2013年10月08日開催)
日 時:2013年10月8日(火)15:00~18:00
場 所:神戸大学大学院国際協力研究科6階シミュレーションルーム
プログラム
「ケニアにおける民族対立と国政選挙」
Othieno Nyanjom(Kenya Institute of Public Policy Research and Analysis)
報告
Nyanjom 講師は、科研Sの下での高橋基樹との共同研究に基づきケニアの国政選挙と民族対立との関係について報告を行った。1992年の複数政党制復帰以降ケニアでは政治的な暴力が民族の境界に沿って展開したが、報告ではその原因と構造を、ケニアの植民地時代以来の政治経済体制の生成変化と独立以来の競争的選挙を軸とした政治的闘争に求め、詳細な実証的考察を参加者と共有した。議論の骨子は以下のとおり。
植民地時代に行われた民族の境界による地域・集団の画定およびそれに続く選挙の導入は民族ごとの政治的単位の形成を促し、その中での政治家と大衆の間の土地等の資源の配分をめぐる経済的正義の共有と矛盾、民族間における経済的正義の衝突を生み出した。独立以来ほぼ一貫して競争的選挙が実施されてきたが、選挙を通じた政権の獲得はある経済的正義が他方に勝ち、勝者の側に有利な資源配分をもたらした。そのことは、敗者の側の大衆の憤懣と恐怖を生み、民族間の対立を大衆レベルに根付かせるとともに、政権(へのアクセス)の獲得と保持を民族の政治的リーダーにとっての至上命題とした。そして、暴力の行使や経済的正義についての考え方の操作を辞さない政治文化を醸成した。そうした政治経済のあり方が継続したたまま複数政党制選挙が再導入されたことが、選挙後暴力に至るケニアでの民族対立と暴力の頻発につながった。こうした問題を根本的に乗り越えるためには、経済的正義についての観念の対立に関する、民族の境界や階層の違いを超えた平和的な熟議を積み重ねることが必要である。(高橋基樹)
[経済・開発ユニット第5回研究会]小川さやか「タンザニアの路上商人による暴動と組合化―ストリートの指示とインフォーマル性の再考」(東アフリカ・クラスター第5回研究会との共催、2013年07月13日開催)
日 時:2013年7月13日(土)10:30~12:30
場 所:京都大学 稲盛記念館 3階 小会議室Ⅰ
プログラム
タンザニアの路上商人による暴動と組合化―ストリートの指示とインフォーマル性の再考
小川さやか(立命館大学 先端総合学術研究科)
報告
2010年10月にタンザニア・ムワンザ市で実施された選挙では、スワヒリ語のスラングを使った街頭演説、若者による路上デモの組織化、SNS(facebookやtwitter)の活用といった「政治のストリート化」がみられた。この選挙では、路上商人(マチンガ)の問題がひとつの争点となった。マチンガの組合SHIUMAは2006年、市当局に対して市中心部の市場建設を要望したが、断られた。一方、野党CHADEMAは市中心部に専用デパート、マチンガ・コンプレックスの建設を選挙公約に入れ、ムワンザ市の国会議員選挙では野党CHADEMA(民主開発党)が与党(CCM)に勝利した。しかし、マチンガ・コンプレックスに入ることをめぐって、マチンガ組合に参画するマチンガたちの分裂を生み出し、異なる業種や宗教、営業場所にもとづく、さまざまな組合が結成されるにいたった。コンプレックスで営業をはじめたマチンガたちは、高い賃貸料を支払う必要があり、かならずしも成功を意味するものではなかった。CCMによる資金貸与をきっかけに、SHIUMAが分裂する。マチンガの多様性から「一貫した中身のなさ」に肯定的な態度がみられ、マチンガ組合に参加する目的はマチンガを脱することにあり、多様な政党や機関との連携を模索しながら、利益を引き出せる政党・団体と連携していくことが重要だと指摘された。これらの動きを、おもにタンザニアにおける政治動向とのつながり、マチンガ組合のもつ政治性について議論された。(大山修一)
[経済・開発ユニット第4回研究会]金昭延「Between A Rock and Hard Place: South Korean’s Africa Strategies」(2012年11月17日開催)
日 時: 2012年11月17日(土) 15:00~17:00
場 所: 京都大学 吉田キャンパス・総合研究2号館 447室
プログラム
金昭延(リーズ大学、神戸大学)
“Between A Rock and Hard Place: South Korean’s Africa Strategies”
報告
資源開発と資源価格の高騰によるアフリカ経済の隆盛、中国と日本、北朝鮮という東アジアにおける地政学的なポジショニングのなかで、韓国政府が展開してきたアフリカ外交について説明した。韓国からみたアフリカは貿易相手、および援助の対象としてみる傾向がある。2005年には韓国政府はアフリカ・イニシアティブとして援助額を倍増し、2006年には第1回アフリカ・フォーラムを開催し、アフリカ諸国の首脳・代表を招待し、公的機関に対する支援を打ち出した。2009年には第2回アフリカ・フォーラムが開催され、アフリカ連合(AU)重視を打ち出した。そこには、中国や日本のように規模の大きい援助を展開することができず、独自性を出そうとする韓国政府の意図が存在する。2012年の第3回アフリカ・フォーラムでは、治安維持やガバナンスの支援を打ち出し、官民が連携して、積極的に貢献する外交を展開しようとしている。(大山修一)