(派遣国:ケニア, 南アフリカ/派遣期間:2014年8月〜10月) |
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「スラムツアーの現在ー観光と住民のコンフリクトを中心にー」 八木 達祐(立命館大学大学院 先端総合学術研究科共生領域 博士前期課程) |
キーワード:スラムツアー, スラム文化, 貧困, コンフリクト, 観光人類学 |
研究の背景と目的1990年代初頭以降、第三諸国では「貧困街」を巡回するスラムツアーが、観光を受け入れる地域の貧困削減や経済的自立を目指すプロ・プアーツーリズムの展開(江口 2010:21)や経済発展を目指す第三諸国にとって大資本や先端技術、専門知識がなくても導入可能な産業であること(森本 2012:10)を理由に拡大してきた。しかしながら、物見遊山的な観光客がスラムの人々の心情を害することや「貧困」というプライベートなものを見世物にして「商品化」することが道徳的な問題とされ、倫理的な観点からメディアによって批判もなされてきた(Steinbrink et al. 2012 : 1)。観光社会学者のジョン・アーリーは、「まなざし」という概念を用いて、自分の文化とは異なるものを空想で追い求めるロマン主義的な観光客によって、観光地域の人々は一方的に見られているという観光客と地域住民との不均衡な関係性を指摘し、観光(客)の持つ権力性を提示した(アーリー 1995)。 今日のスラムツアー研究においても、観光客の経験に着目する研究や観光開発がいかに行われるべきかに関する分析に議論が偏重しており、観光地域に住む人びとの実践に焦点を当てた研究は少なく、観光客の「まなざし」を受けるスラム住民が、観光や観光客に対してどのように対処しているのかについては十分に明らかにされてこなかった。 そこで本研究では、スラム住民による対処の諸相を明らかにし、さらにアフリカのスラムツアーが実施されるスラム地域でのコンフリクトを把握することを目的とした。今回の渡航では、アフリカにおけるスラムツアーの概要の把握と調査地の選定を目的とし、ケニアのナイロビ(キベラ)、南アフリカのジョハネスバーグ(ソウェト)・ケープタウン(ランガ)の3地域においてスラムツアーへの参与観察を行った。調査者が参加したスラムツアーは大抵、事前にインターネットや電話でツアーの事業者(観光学ではブローカーと呼ぶ)と連絡と取り、当日は観光客が滞在する都市の中心部から自動車やバスを使ってスラム地域に向かうものであった。その後、案内人と共にスラム内を歩いて周り、民家や居酒屋、土産物屋やNGO団体、伝統的な治療者等を訪問した。民家でスラム住人の話を聞いたり、居酒屋でスラムの地酒を飲んだりして、実際に「スラム文化」を体験できるツアー内容となっている。 得られた知見具体的に得られた知見は以下の通りである。 南アフリカにおけるスラムツアーは1991年に始まり、今日のスラムツアーの先駆けとなったとされている。アパルトヘイト時代にはすでに、政策に批判的なNGOや国際連合の政治グループによって、非白人地域を訪れる観光が始まっており(Steinbrink 2012:4)、アパルトヘイト政策が撤廃された後も、世界各地だけでなく国内からも観光客を集めている。南アフリカにおけるスラムツアーは「タウンシップツアー」と呼ばれる。タウンシップは、アパルトヘイト時代に強制的に作られた居住区のことであり、観光地域となるタウンシップのほとんどは黒人居住区である。なかでも、ジョハネスバーグに位置する南アフリカ最大のタウンシップであるソウェトは、アパルトヘイト時代に黒人大衆による活発な抵抗運動が起こったことで世界的に大きな注目を集めた地域である(峯 2010:53)。そのような歴史的背景もありソウェトでは1976年ソウェト蜂起の記憶を展示したヘクター・ピーターソン博物館や、ネルソン・マンデラが拘束されるまでに暮らしていたマンデラハウスが代表的な観光地となっており、これらの場所はタウンシップツアーにおいてもしばしば訪れられている。とりわけ黒人タウンシップのなかを案内人の語りを聞きながら巡回する形式やシェビーンと呼ばれる「違法」居酒屋に入り、大きな樽に入った地酒をバケツですくい皆で回し飲みをする体験は、南アフリカにおけるタウンシップツアーでは定番の内容である。 ケープタウンは40〜50のツアー会社によってタウンシップツアーが実施されており、年間およそ80万人の観光客がいることが推測されている(Steinbrink 2012:4)。他の地域と比べて多数のツアー会社が参入しており、ツアー内容や会社の連絡先を記したパンフレットは空港や駅で簡単に手に入れることができる。喜望峰やテーブルマウンテン、ワイナリーという観光の名所が多く存在しているなか、タウンシップツアーが観光地ケープタウンの中心的な観光産業として台頭してきたということは興味深い現象である。 2)スラムツアーの規格化とインフォーマル化 他方で、ナイロビのスラムツアーには、インフォーマルな業態が広く存在する可能性も示唆された。たとえば、サファリツアーを目玉に運営しているツアー会社を通じて申し込んだスラムツアーでは、ネットカフェ店員を本業とし副業として時折ガイド業に従事するスラムの26歳の若者(男性)に案内された。またウェブサイトで見つけた別のツアー会社は二人の従業員しかおらず、発表者の帰国後再び検索するとツアー会社のサイト自体が無くなっていた。これらのツアーは、上述した南アフリカのツアーとは異なり、会社が独自に回るコースを決めるか、もしくは観光客の希望に応じてツアーがアレンジされている。スラムツアーの歴史の深い規格化された南アフリカに対して、まだ歴史が浅く形式化されていないゆえに観光を受け入れる住民どうしで意見の対立が生じ、より直接的なコンフリクトが起こる可能性もある。 今後の展開1)スラムの形成史・スラムの社会構成 2)住民の複雑な立場性とコンフリクトの所在 また、コンフリクトに関する別の視点として、観光のオーセンティシティにも着目したい。オーセンティシティをめぐる議論の火付け役となったブーアスティンは、観光客はメディア等であらかじめ持っているイメージを確認することで満足する「擬似イベント」論を展開した。これに対してマッキャーネルは、観光客は「舞台裏」を見ることを求めていると反論した。しかし舞台裏という表舞台(演出していないという演出)が存在する可能性は否定できず、それは結局のところは確かめようがない(遠藤 2005 : 23)。既存の観光人類学の理論を参照しつつ、見せることが可能な領域とそうではないプライベートな領域とのあいだで、住民たちがいかに観光客を満足させようとしているのかを明らかにしたい。 3)スラムツアーの歴史的な展開 【参考文献】 江口 信清 慶田 勝彦 松田 素二 峯 陽一 森本 泉 Steinbrink, M, F. Frenzel and K.Koens 須藤 廣・遠藤 英樹 須永 和博 van der Duim, R, K.Peters and J.Akama |