(派遣先国:南アフリカ/派遣期間:2014年2月~3月) |
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「ポスト・アパルトヘイト期南アフリカにおける人種カテゴリーの再編成―華人の『黒人性』をめぐる裁判を手がかりに」 山本めゆ(京都大学大学院文学研究科行動文化学専攻社会学専修 博士課程) |
キーワード:人種主義, 華人ディアスポラ, 社会的包摂 |
研究の背景と目的南アフリカでは民主化後、歴史的に不利な立場に置かれた人びとを優遇し格差是正を目指す政策が導入されたが、華人はその恩恵を受けることができなかった。これを不服とする華人コミュニティは運動を展開し、2008年に最高裁においてアパルトヘイト期の華人が「歴史的に不利益を被ったblack people」であったと公式に認定された。この判断に対しアフリカ人社会は強い反発を示した。華人はアパルトヘイト後期には「名誉白人」であったという集合的記憶が共有されていたこともその一因である。 今回の調査では、その裁判の背景にあるアパルトヘイト期の華人コミュニティの実践を明らかにするために、主にヨハネスブルクとプレトリア在住の華人(二世、三世)に対してインタビュー調査を実施、アパルトヘイト期の華人コミュニティ経験に加え、白人優位主義に対する彼らの抵抗や適応、葛藤や迂回等の解明を目指した。 得られた知見①1960年代後半以降、武装闘争や大規模な抗議活動が激化するなか、華人はそれらとは距離を置き白人社会との交渉を重視する傾向にあった。今回実施したインタビュー調査から明らかになったのは、華人たちはそれを「文明の高さ」として自己呈示しているということである。たとえば、華人学校ではヨーロッパ系の学校とのスポーツ交流に力を入れ、華人学校で大会が開催される際には、手厚いもてなしで迎えて友好関係の構築に努めたという。こうした努力を彼らは「白人と非白人の障壁を突き崩すものであり、それもレイシズムに対する抗議のひとつ」であると語っている。 ②1930年代に南アフリカに渡った華人のなかには、日中戦争により故郷を喪失し、移民を決意した人びともいた。その経緯はDarryl Accone著の All under Heaven(2006)などにも記されている。アパルトヘイト期、特権的な地位を与えられていた(とされる)日本人に対する反感や、「日本人並み」の待遇を獲得したいという彼らの心情の底流にはこのような歴史的な背景があることも、インタビュー調査を通して把握することができた。 今後の展開武力に訴えるよりも対話と相互理解こそが「文明的」であるといった主張は、開放闘争の主要な担い手であったアフリカ系住民を「野蛮」の側に位置づけ、人種隔離政策の比類なき野蛮さへ批判性を喪失するという転倒を招きかねない。かつて華人コミュニティが採用した「文明的」な抗議手法がアフリカ系住民の眼には白人社会への同調と映り、今日に至る反感の源泉となっているのだとすれば、人種政策への抗議をめぐるアプローチの違いは実証的にも理論的にもさらなる精査が求められるだろう。 |