(派遣先国:ケニア/派遣期間:2013年2月9日~2月28日) |
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「東アフリカ牧畜社会における家畜の略奪と民族間関係」 太田至(京都大学アフリカ地域研究資料センター・教授) |
キーワード:小火器, レイディング, ローカルNGO, トゥルカナ, トポサ |
研究の背景と目的南部スーダンとエチオピア、ソマリア、ケニア、ウガンダが国境を接する地域では、AK-47などの小火器の蔓延による治安の悪化がおおきな社会問題となっている。この地域は降水量の少ない乾燥地域であって、多くの人びとは家畜飼養につよく依存する牧畜生活をおくってきた。そして、隣接する民族のあいだでひんぱんに家畜の略奪(レイディング)をはじめとする紛争がおこることが、マスコミでとりあげられ、研究者もさまざまな議論をしてきた。 1970年代には多くの研究者は、牧畜社会の社会構造やアイデンティティ、「男らしさ」に関する文化的な価値観、家畜をめぐる信念の体系などとの関連においてレイディングの頻度の高さを説明した。また、こうした社会・文化的な要素よりも、生態学的な特徴を強調する研究者もいた。つまり、この乾燥地域では家畜のえさとなる植物や水の分布が限られており、貴重な資源の利用をめぐって争いがおこるという説明である。あるいは、数年~数十年に一度おこる旱魃や、病気の流行によって保有する家畜数が激減することが常態であるため、その回復をめざしてレイディングがおこなわれると説明する研究者もいた。ただし、こうした説明に共通しているのは、牧畜民のあいだの争いは「テリトリーの拡張」ではなく「家畜の略奪」を目的としている、という理解のしかたであった。 1990年代にはいった頃からは、レイディングの性質が変化したことが論じられるようになった。ひとつには、AK-47などの小火器の蔓延によって暴力の規模だけではなく、その質的な変化もおこったという議論である。もうひとつは、略奪した家畜の用途の変化である。以前は、自分たちで飼養するために家畜の略奪がおこっていたのだが、これが商業化・職業化し、略奪した家畜は大都市の家畜市で売却されるようになったという議論である。 さらには、民族間の暴力的な対立は「政治化されている」という指摘も、多くなってきた。東アフリカの牧畜社会は乾燥地域に分布しており、国家行政や開発支援からみはなされてきた歴史をもつのだが、近年になってから、とくにケニアでは、国会議員の選挙などの政治的資源をめぐる争いの過程で、隣接民族間の暴力的対立が政治的に利用されるかたちでエスカレートしていることが指摘されている。 このように、東アフリカ牧畜社会における家畜の略奪や隣接民族間の暴力的衝突をめぐっては、多くの議論がなされている。わたしが調査しているケニア北西部では、まず、1979年ごろから自動小銃が牧民のあいだに出回るようになり、隣国であるスーダンやソマリア、エチオピアにおける内戦の影響もあって、小火器がはびこるようになった。このような背景のもとで、紛争の実態や民族間関係の動態を記述・分析するのが、わたしの研究目的である。 今回の調査から得られた知見ケニア北西部のトゥルカナ地域には、民族間の和平や共存を活動目的としているローカルNGOがいくつか存在する。かれらは、OXFAMやUSAIDなどから資金を得て、紛争解決と平和構築を目的とした活動をおこなっており、それに従事しているのは主として30-40代の若者・壮年の人びとである。わたしがインテンシブな現地調査を実施しているトゥルカナ地域の北西部では、カクマを拠点としたLOKADO(Lokichoggio, Kakuma and Oropoi Development Organization)とロキチョキオを拠点とするAPEDI(Adakar Peace and Development Initiative)のふたつのNGOが活動を展開してきた。前者は主としてトゥルカナとのジエ、ドドス、カリモジョン、後者は主としてトゥルカナとトポサとの関係を担当している。また、かれらにはウガンダに本拠をおくKOPEIN(Kotido Peace Initiative)やDADO(Dodoth Agricultural Development Organization)などのNGOやカトリック・ミッションなどと連携体制をとっており、隣接民族間で家畜の略奪がおきたときには、相互に携帯電話で連絡をとりあって事件を追跡し、略奪した家畜を返却させることもある。また、隣接民族のあいだで、国会議員や県知事などを動員して和平会議を開催する活動もおこなっている。 トゥルカナのふたつのNGOはいずれも、トゥルカナと隣接民族とのあいだに起こった家畜の略奪・争いについて、情報を収集しながら日誌をつけている。前年の調査でわたしは、APEDIの事務所を訪問して2010年1月~2011年8月のあいだにおこった出来事に関する説明を聞きとったのだが、今回も同様に、APEDIの代表に会って、2006年~2011年の6年間にわたる日誌をもとにして、民族間の争いに関する聞き取りをすることができた。このうち2006年の記録は残念なことに中断しているので、この年を除外した5年間について、日誌に記載された事件の概略をまとめると以下のようになる。 この日誌をつけていたAPEDIの担当地域の制限により、日誌に登場する事件の大部分はトゥルカナとスーダン南東部に居住するトポサのあいだのものである。事件数の5年間の平均は50件であり、36~67件と幅がある。単純に計算すれば一週間に一度は、何らかの事件がおこっていたことになる。死者数の年平均は45.4人(最小26人、最大58人)であり、負傷者数については「多数」という記載もあるのだが、それを無視すると平均26人(最小29人、最大51人)となる。トゥルカナだけではなく、とくにトポサ側の負傷者数は正確には把握されていないと推測されるため、実際の負傷者数は、もっと多かったと思われる。 ウプサラ大学がインターネット上で公開している「Conflict Encyclopedia」は、「ある対立するグループ間で、カレンダー上の一年間にどちらかのグループに最低25人の死者が発生したもの」だけを「Active」な紛争としている。そして、この地域における紛争に関するデータをみると、一年間の死者の総計が25人をこえる事件だけが記録されているが、それがどちら側で発生したのかには言及していない。おそらくそれを特定することが不可能なために、対立するグループすべての死者数を数えていると思われる。そこで、このデータセットのなかでトゥルカナとトポサのあいだの争いをみると、2007~2011年の期間には、2008年(死者25人)と2011年(死者26人)だけがデータとして登録されている(Uppsala Conflict Data Program (Date of retrieval: 2013/06/15) UCDP Database: www.ucdp.uu.se/database Uppsala University ©2008)。この記録の情報源は不明だが、APEDIの日誌を参照するかぎり、このデータセットには記録されていない事件が多数おこっていることがわかる。 なお、APEDIの日誌によれば、2007~2011年に略奪されたウシの頭数は、年平均で約3200頭(最小624頭、最大7772頭)、ヤギ・ヒツジは年平均で約780頭(最小84頭、最大1785頭)となっている。 |