【2011年度派遣報告】佐川徹「平和構築介入が地域社会に与える影響:東アフリカ牧畜社会を事例に」

(派遣先国:エチオピア/派遣期間:2011年8月~9月)
「平和構築介入が地域社会に与える影響:東アフリカ牧畜社会を事例に」
佐川 徹(京都大学アフリカ地域研究資料センター・助教)
キーワード:平和会合, 武器管理, 伝統の流用, 平和と開発の矛盾

研究目的

平和儀礼の一場面。屠殺したヒツジの脂肪の一部を肩にかけあう ダサネッチとニャンガトムの男性(2011年8月29日)

今回の派遣先は、エチオピアの西南部、ケニアとスーダンの国境地域である。この地域には、人口数千~数十万人程度の牧畜集団が数多く分布している。これらの牧畜集団は長年にわたって武力紛争を重ねてきた。1980年代からは強力な殺傷能力を有した自動小銃が拡散している。政府らは近年まで紛争に対する積極的な介入を行ってこなかったが、2000年代に入ってエチオピアとケニアの両国政府やローカルNGOが対立関係の緩和や平和の定着を目的とした介入を試みている。この研究の目的は、政府らによっていかなる介入がなされ、それが地域社会にどのような影響を与えているのかを明らかにすることである。

調査から得られた知見

今回の調査では、地方政府が中心となって開催する3つの平和会合に参加する機会を得た。平和会合とは、対立する集団の成員を一か所に集めて、紛争の原因や平和の重要性を議論させることをとおして、対立関係の緩和をもたらすことを目的とした会合である。会合の場で印象的だったのは、介入者側が「伝統的儀礼の再現」に腐心する姿である。この地域の人びとは、紛争が終結すると自発的に平和のための集まりをもつことがあったが、近年ではその開催の機会が減少しているとされる。介入者は、この集まりの場でなされてきた「和解のための儀礼」を平和会合で再現することを試みた。しかし、会合に集められた地域の人びとは必ずしも儀礼に積極的に参加しておらず、ある会合では儀礼の執行に関与したのはごく少数の人びとだけで、多くは儀礼がみえないところで雑談をしていた。また、儀礼の最中に介入者側がどのように儀礼を執行すべきかを人びとに指示する様子も度々みられた。この地域では、紛争終結後に必ずこの儀礼がおこなわれてきたわけではない。むしろ、集団境界を越えて個人的な友好関係をもつ成員同士が相互往来を再開することを契機に、平和的な関係が回復されることが多かった。そのため、人びとは儀礼に対してあまりつよい価値を置いておらず、またその「正しい手順」についても知らない人が多い。介入者側が「平和構築に資する地域の伝統」として期待した儀礼の再現に、地域の人びとが積極的に関与しなかった背景には、以上のような要因がある。儀礼に多大な時間が割かれた結果、人びとがたがいに議論する時間が短くなったことは、会合全体にとってマイナスであった。

議論の場ではほとんどの時間は平穏に話が進められたが、政府関係者が「銃が紛争を招く大きな要素の一つなので、今後は銃の登録を進める予定である」と発言すると、参加していた人びとは、その場で口に出して反論することこそなかったが、敏感に反応していた。この地域で、銃は「敵」からの攻撃に備えたり、逆に「敵」を攻撃したりする際に不可欠の道具である。警察機構が適切に機能していないこの地域で銃を手放せば、近隣集団からの一方的な攻撃の対象になりかねない。政府関係者は銃の「徴収」ではなく「登録」を口にしただけだが、人びとは「一度登録されてしまうといつ取り上げられるかわからない」、「登録が不可避になると新たに銃を入手することが困難になる」といった危惧を表明していた。このような反応の背景には、人びとの国家に対する長年の不信感がある。この地 域の牧畜民は、これまで政府の政策から恩恵を受けてきたとは感じていない。むしろ、これまでのすべての政府は地域の資源を半強制的に奪い去っていくだけの抑圧的存在であったと考えている(ただし、1936~41年にエチオピアを占領していたイタリアは、多くのモノを分け与えてくれた「われわれの父親、兄貴」とみなされている)。この政府に対する根本的な不信感が払拭されて一定程度の信頼関係が醸成されないかぎり、銃の流通や管理を目指す政策に人びとが積極的に協力することはないだろう。

今後の展開

政府は紛争緩和を目指した介入をつよめる一方で、集団間・集団内に新たな対立の火種をつくりだす政策を実施している。具体的には、オモ川上流部でのダム建設、外部資本による大規模土地取得、石油試掘の本格化、の3点である。いずれも、地域の人びとの土地や水資源へのアクセスを大幅に制限することをともなうプロジェクトであるが、住民に対する十分な説明がなされないままに進行している。そして、プロジェクトの影響でもともと住んでいた地から半強制的に退去させられた人もすでに出始めているが、それに対する補償もなされていない。そして、利用可能な土地や水資源が減少することは人びとの根本的な生存基盤を破壊するだけでなく、集団間・集団内の資源をめぐる相克を深めることにつながるおそれがつよい。

政府が近年になって紛争緩和のための介入を本格化しているのは、上記の開発事業を推進するためには治安の確保が必須条件だからであろう。首都から遠く離れた国境付近の乾燥地域は、19世紀終わりから20世紀半ばにかけて象牙や奴隷の供給地として国家経済に重要な役割を果たしたが、それらの交易が終わりを迎えると、経済的な価値がない辺境地域として放置された。しかし、21世紀に入りアフリカに「経済成長」の時代が訪れると、国家の隅々の資源までをも利用しつくそうという強力な資本の運動が作動し始め、国境付近の地域はいまや開発の焦点地域となっている。今後、この地域で「開発と平和」が手を携えて進展していくのか、それとも開発政策が平和の定着を阻害する要因として作用し、地域にさらなる混乱をもたらすことになるのかを、注視していく必要がある。

平和儀礼にはダサネッチとニャンガトム双方から一人ずつ少女も参加する。もっとも「か弱い存在」である少女が「敵地」を訪問することで、両者に平和的な関係が回復したことが象徴的に示される(2011年8月29日)

ダサネッチとハマルとの平和儀礼。双方が小家畜を一頭提供し、屠殺して、その血を大地にささげる(2011年8月31日)

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