日時:2019年6月22日(土)11:30-14:00
場所:京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科稲盛記念館3階
報告タイトル:「南アフリカに暮らす移民・難民の生活を支える社会的実践の諸相」
報告者:佐藤千鶴子(アジア経済研究所)
佐藤氏は、南アフリカ(以下、南ア)最大の産業都市ジョハネスバーグに暮らす3つのアフリカ諸国出身者(コンゴ民主共和国<以下、コンゴ>、ジンバブウェ、マラウィ)の間に見られる、生活を支えるためのさまざまな社会的実践について報告した。
民主化後の南アには、歴史的につながりの深い南部アフリカ諸国のみならず、地理的に離れた中部や東部アフリカからも移民・難民が流入してきている。特に2010年代に入って移民(難民含む)の数が増えているが、その背景として佐藤氏は、南アと他のアフリカ諸国の間に存在する経済力の差のみならず、南アにいる親族や同郷の友人たちとの個人的な繋がりを通じて南アにやってくる人びとが増えたことが重要であるとする。そして、このような社会的紐帯が国境を越えた移動を引き起こすのみならず、移動先での生活を形作る上でも重要な役割を果たしている、との認識のもと、コンゴ、ジンバブウェ、マラウィの3カ国出身者を対象に、社会的紐帯に基づく実践がどのような形で行われているのか、3ヵ国出身者の社会的実践の間に何らかの相違が見られるならば、相違が何によって引き起こされているのかを明らかにしたい、とした。
これら3ヵ国出身者が南アに移動するようになった背景や、南アで得られる滞在資格は異なっている。コンゴ人の移住はアパルトヘイト末期に開始されたが、2000代以降に増加しており、今日の移住者は主に紛争や政治的迫害から逃れて難民認定を受けるために庇護申請者として生活している。3カ国の中で南アにおける移住者数が最多のジンバブウェ人は、アパルトヘイト時代から南部に住むンデベレ人を中心に非正規で国境を越え、南ア黒人に紛れて庭師や建設現場で働く人びとがいたものの、南アへの移住者が急増するのは、政治経済的混乱とインフレが悪化した2000年代半ば以降である。他方、マラウィは歴史的には政府間協定に基づく南ア鉱山への男性の単身出稼ぎ労働者の送出し国であったが、1990年代初頭までに鉱山への出稼ぎは激減した。経済的な機会を求める個人での移動は南アの民主化後に徐々に増加してきたが、そのペースが加速したのは2000年半ば以降である。ジンバブウェ人とマラウィ人は基本的に経済移民であり、その多くは正規の就労ビザを持たない非正規移民として南アに暮らしている。
佐藤氏は、これら3ヵ国出身者の間で見られる社会的実践を、①南アに到着して生活を開始する、②生活を軌道に乗せる(衣食住の「住」と生計手段=仕事を見つける)、③アクシデント(死、大病)に備える、④精神的支えを得る、⑤トランスナショナルな絆を維持する、の5つの局面に分けた上で、3ヵ国出身者に共通してみられる実践と、特定の諸国出身者に主にみられる実践、に分類して列挙した。そして出身国による社会的実践の違いを生む原因として、地理的距離、移民の規模、移住の歴史の長短に加えて、出身国の政治状況や、国に帰ることが可能かどうかに起因する将来像の違いが関係しているのではないか、とした。また、出身国が同じでも、出自に基づく社会的ネットワークから得られる利点には個人差があるため、これらのネットワークからこぼれ落ちてしまう人々がいることについて、今後、考察を深めていきたい、とした。
質疑応答では、①親族や友人関係に基づいて行われる実践と単に出身国が同じであるということに基づいて行われる実践を同じ土俵で論じることが適切かどうか、②1950年代~60年代の農村から都市への出稼ぎ移民の間で見られた相互扶助と21世紀の国際移民の間での相互扶助のあり方の類似点と相違点は何か、③人々が「同胞」といった際に実際には誰――どのようなつながりに基づく人――を意味しているのかもっと注意深く見る必要があるのではないか、④「同胞」意識に基づく内向きの関係性を超えて、ホストである南ア人や南ア社会との関係性やさまざまなアフリカ諸国出身者の間での関係性の構築のような外向きの、共存に向かう関係性のあり方を見るべきではないか、⑤関係性に基づく実践のみならず、実践から生まれる新たな関係性についても考慮すべきではないか、⑥等価交換が行われる場合と、等価交換が行われない場合の実践を分けるのが良いのではないか、⑦男性と女性の間での実践の違いについてもっと注意すべきではないか、といった点を含むさまざま論点が提起され、活発な議論が行われた。
佐藤千鶴子