[全体会議] 第6回全体会議「南アフリカ・ローズフォーラムにむけて」(2017年10月14日開催)

日時:2016年10月14日(土)14:00~17:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室
(以下敬称略)

はじめに、プロジェクト代表の松田素二より、プロジェクトに関連した国際フォーラムや国際会議、参加したイベント、次世代調査支援、ASM出版、今後の全体会議などについての事務連絡があった。アメリカ・アフリカ学会については、武内進一より詳細な説明がおこなわれた。

引き続き、11月24日~26日まで、南アフリカ共和国グラハムズタウンのローズ大学で行われる「第7回アフリカフォーラム(通称ローズ・フォーラム)」に向けて、松田素二による趣旨説明、そして日本人発表者5名による研究発表と質疑応答が行われた。発表者、タイトル、要旨は下記の通りである。

発表者1 阿部利洋(大谷大学)
タイトル 触発的な制度設計――南アフリカの移行期正義における十分すぎるコントロールと不作為の中間領域

本発表では、活動終了から20年近くが経過した、南アフリカの真実和解委員会(TRC)の活動の影響をどのように再評価するか、そしてどのような派生的な効果が注目されているのかを議論した。次に、旧ユーゴスラビアなど他の地域における移行期正義の事例と比較することで、南アフリカのTRCについて再検討した。それらの結果を踏まえて、南アフリカのポストTRCの社会的な反応を「十分すぎるコントロールと不作為の中間領域」「特定のかたちでの失敗」「ある範囲における不十分さ、不完全さ」といった性質・条件が引き出したと考える視点を提案した。

発表者2 高田明(京都大学)
タイトル The medium of instruction in north-central Namibia in colonial times

本発表では、南部アフリカにおける非白人、ナミビア北中部のオバンボ、オハングウェナ地域のサンの教育史について教育媒介言語に着目しながら報告した。この地域における教育媒介言語は、植民地政策、宣教団の活動、先住民政策など社会的、政治的変化に応じて、英語、アフリカーンス語、スペイン語、オバンボ語などが用いられてきた。また、オバンボランドの先住民であるサンに対する教育史は、オバンボに対するそれと大きく違っている。

発表者3 早川真悠(久米田看護専門学校・摂南大学)
タイトル 使えない貨幣のポテンシャル:ジンバブエにおけるハイパー・インフレ通貨の非消滅性(The potentials of the useless money: The non-disappearance of hyperinflating currency in Zimbabwe)

本発表は、ハイパー・インフレへのジンバブエの人びとの対応のなかに、アフリカ潜在力をみようとする試みである。ハイパー・インフレ下でも、人びとはジンバブエ・ドルを限定目的貨幣として使用した。一方、万能であるかにみえた外貨(米ドル)は、少額通貨不足のため利用されないこともあった。人びとは、ハイパー・インフレという異常事態にあっても、自然なやりとりをとおして日常を維持しようとしたのであり、そこには、近代経済・近代貨幣とは異なる、微細な融通や加減といった行為に支えられた経済・貨幣のあり方が見えてくるのである。

発表者4 丸山淳子(津田塾大学)
タイトル Divided land, shared land: Recent land issues among the San hunter-gatherers in Central Kalahari

セントラル・カラハリの狩猟採集民サンは、ボツワナ政府により故郷を追われ定住を強いられてきたが、「先住民運動」として土地問題を訴えて世界的に注目を浴び、国内の裁判でも勝訴した。しかしその結果、政府が認めたのは、特定の人物だけの故郷への帰還や、一部の富裕者だけがアクセスできる土地への権利であった。つまり、土地問題は、サンのあいだの格差の問題へと転化したのである。しかし人びとは、親族のネットワークを利用して新しい土地をたずね、「土地になじむ」という楽しみを見出しており、結果、サン全体の活動域は拡大している。

発表者5 山本めゆ(京都大学)
タイトル 二元論的レイシズムをこえて:中国人年季契約労働者の到来と南アフリカにおける白人性の創造

発表者は、南アフリカで語られてきた「白」と「黒」という二項対立的なレイシズム観を、中国人年季契約労働者の存在から相対化しようと試みる。20世紀初頭イギリスは、ヨハネスブルグのラント金鉱山に、中国から年季契約労働者を導入した。劣悪な環境での6年の労働の後、彼らはすべて送還されたが、それはのちの南アでの中国人イメージを形成し、白人のナショナリズムを喚起する結果となった。つまり、中国人労働者の導入や当時のアジア脅威論が、一枚岩でなかった南アフリカの「白人」を連帯させ、「白い南アフリカ」建設を後押ししたといえる。

平野(野元)美佐/市野進一郎

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