「ウォライタの公共空間に見られるウォライタ語の観察」
若狭基道
(派遣先国:エチオピア/海外出張期間:2017年8月20日~9月22日)
私の専門は言語学、特にアフロアジア(旧称セムハム)諸語に関心を持っています。とは言え、あれもこれもと手を広げられる程、才能も行動力もないので、専らエチオピア、それも南西部のウォライタと言われる場所をフィールドにして現地調査を行っています。
私はウォライタ語に関係することなら、何にでも首を突っ込んで調べて来ましたが、今回の大きなテーマとして選んだのは、書記言語でした。ウォライタ語は比較的近年まで書かれることは極めて稀で、現在でも書記言語としては余り機能していないようです。とは言え、書かれることが皆無ではありません。ならばそれらを調べるのも言語学者を名乗る者の仕事です。
実は私は過去にも書かれたウォライタ語をテーマに論考を発表したことがあります。ですが、それは主として個人的に貰った手紙等、紙の上に書かれたものを題材としていました。ですから、資料の蒐集も受身的(別途印刷物を若干の手間をかけて入手しましたが)、手に入ってしまえば基本的にはデスクワークでした。
それに対して今回の相手は、公共空間に見られる言語景観としてのウォライタ語、まあ、道を歩いていると目に入る看板等に書かれているウォライタ語のことです。カメラ片手に滞在していたBoditiという小さめの町を徘徊して来ました。Sodoというウォライタの中心部も、僅かですが同様に写真を撮りながら右往左往して来ました。
実を言うと、書かれている言語の大半はエチオピアの作業語、事実上の共通語として最有力のアムハラ語でした。あるいは抑々文字なんて書かれていません。考えてみれば、ちょっと覗けば何を売っている店なのか分かるのですから、敢えて看板に書く必要なんてないのですね。でも、その気になって探すとそれなりに書かれたウォライタ語の実例が集まりました。
公共空間に書かれているウォライタ語は、大きく2つに分けられると思います。1つは(ほぼ)同じ内容がアムハラ語なり英語なりその両方なりでも書いてあるものです。これは大半が建物や組織の名称が書かれているもので、日本でもよく目にするタイプの平凡なものでした。例えば写真1を御覧下さい。
もう1つは、同じ内容が他の言語で併記されていないものです。私はこちらの方に興味を惹かれました。
先ず、エチオピア文字で書かれているものが時折見付かります。ウォライタ語の表記にはラテン文字を使うのが最近では標準とされている中、未だにエチオピア文字の使用が残っているのは何故なのか、考えさせられます。
同一内容が併記されていないと言いましたが、完全なモノリンガルテキストであるとは限りません。ウォライタ語で書かれている事とは別の内容が別の言語で書かれている場合もあります。写真2に至ってはウォライタ語、アムハラ語、英語の3言語が使用されており、組織名こそ3言語で表記されていますが、アムハラ語は「人材開発」だとか「恒久的な生活改善策」だとか、英語にもあるようなある程度具体的な目標にも触れているのに対し、ウォライタ語は「ウォライタに黄金を纏わせよう」と抽象的なスローガンを謳っているだけです。
書かれている内容が、実用という面から見るとちょっとずれている場合が多いのも特徴でしょう。写真3のバスの正面上には「ぶつくさ言うな」と書いてあります。調査協力者の話では、何か宗教的な含みがあるのかも知れないとのことです。「置かれた場所で咲きなさい」と言われているようで、私も大いに反省し、謙虚な気持ちになりました。ですが、公共交通機関なのですから、そんな文言よりも行き先を書いてくれた方が確実にトラブルは減ると思います。
以上、個人的に後者のタイプが面白いと思っているのですが、「アフリカ潜在力」という観点から見ても興味深いのは後者ではないでしょうか。アフリカ潜在力の思想的核心は「不完全性」であること、そこには動態性、柔軟性、多元性、雑種性、寛容性、開放性といった特徴が見られること、が指摘されて来ましたが、こういった特徴が表れているのはどちらなのか?現在のウォライタのアフリカ潜在力のレベルからして、今後の言語景観はどのようになって行くのか?そしてそれはウォライタに何を齎すのか?
何だか話が小難しくなって来ました。続きは学会発表等でお披露目しましょう。